2018年6月10日日曜日

パンダの赤ちゃん クアラルンプール国立動物園(Zoo Negara)

赤ちゃんパンダー2018年6月7日撮影
クアラルンプールの国立動物園ーZoo Negaraで、5月26日よりパンダの赤ちゃんが公開されているという情報を得たので、先日見に行って来ました。上の写真が今公開されている赤ちゃんパンダで、1月14日に生まれまだ名前もついていません。後でご紹介しますがガラス越しの公開でまだ歩くこともできないようでした。(2か月後には外に出してもらえるようです。)
実は1昨年この両親から生まれた最初の子のヌアン・ヌアンが中国に返される前(2歳になると中国に返す決まりになっているとの事)に観ていたので、私は乗り気がしなかったのですが妻のたっての願いで重い腰を上げて行く事にしました。
因みに左の写真が一昨年に写したヌアン・ヌアンです。上の赤ちゃんパンダと比べて結構大きいし、外に出してもらっています。
この動物園とその時のパンダやオランウータンの赤ちゃんの事は、私のブログの2016年9月22日に公開した「クアラルンプールの国立動物園」編で紹介しています。興味のおありの方は「ウデピー夫婦 国立動物園」で検索するか次のURLをクリックしてみて下さい。
http://udepix2kl.blogspot.com/2016/09/zoo-negara.html 





クアラルンプール市の南の端の我が家から市の東側にある動物園までは車で30分程の距離です。午前11時から12時半まで公開されているというのでその時間に合わせて家を出ました。(午後は2時から3時半までです。)
今回は動物園の入り口前に在るCarpark Aに車を駐車しました。6月1日から6%のGST(物品&サービス税)が廃止されたので10リンギット(275円ー1リンギット27.5円で計算します)だったのが9.45リンギッ(約260円)になりました。
10時15分頃の駐車場は写真のようにガラガラでした。



以前は無かったオブジェが出迎えてくれました。












チケットカウンターで入場券を購入。前回外国人は85リンギットでしたが今回はGSTが無くなったので80リンギット(2,200円)と5リンギット(約140円)安くなっていました。
私達はパスポートを持参しMM2Hのビザを見せることで半額近い41.5リンギット(約1,125円)になり、これはマレーシア市民と同額です。因みに前回は44リンギットでした。






動物園の入り口には幼稚園の園児たちしかいませんでした。
この入り口で入場券(手に巻くタイプ)を見せると係員がそれを巻いてくれます。










パンダ館は左手に回り込んだ最奥に在ります。
写真の地図では左上に類人猿エリアが有りその左下にパンダ館があります。













左に道を取ると右手の池に非常に沢山の水鳥が飛び交ったり木々に止まっているのが見られます。
この光景を簡単に分かっていただけるような写真は撮れませんでしたが、左の写真の中だけでいったい何羽の鳥が写っているでしょうか?
奥の方の木の中の白い点はすべて鳥です。

キリンや象そしてホワイトタイガーなどを見ながら進んでいくとパンダ館が見えてきます。
これらは以前にもご紹介したので今回は割愛させていただきます。
パンダ館は冷房完備の新しい建物です。南国新聞(マレーシアの日本語ミニコミ)によるとここにいる3頭のパンダの飼育費は月150万円程かかっているそうです。

11時10分前に到着。私達の前にカップルが1組いましたが、私達の到着を待って入場させてくれました。パンダ館自体は開演の10時から開いているようですが、館内には20分しか滞在できません。中に入ると既に数人の入館者がいました。



又飲食や写真のフラッシュ撮影は厳禁です。携帯したドリンクはカバンの中に入れるか、入り口に預けていくことになります。

ここのスポンサーの紹介ですが、今マレーシアを騒がしている1MDB(マレーシア開発銀行)が最大のスポンサーの様です。











こちらは展示物の一つでパンダの成長とその体重を紹介しています。

これから見る赤ちゃんパンダは今約5か月なので体重は11㎏前後と言うことになります。









館内です。

これだけの広さに3頭のパンダが住んでいるだけです。

最もこのエリアは活動エリアなので右奥に飼育の為の部屋があります。







11時少し過ぎに係員が出てきて餌を配置し始めました。笹や人参そして太い竹を長さ20cm幅3cmほどに切ったものです。赤ちゃんパンダが出てくるものと待っていると母親パンダが出てきただけで飼育室からの扉が閉ざされました。
報道関係かプロのカメラマンが写していたので私達も母親パンダを写したり、私達が入館した際既に死んだように寝ていた父親パンダの写真を撮ったりしていました。

左の写真は母親パンダが餌を食べ始めたところです。





こちらは背中をスリスリしている母親です。

これはこれで愛嬌があります。















こちらはあられもない格好で爆睡している父親です。










5分程待っても赤ちゃんパンダが出てこないのでスタッフに尋ねたところ、赤ちゃんはこちらではなく出口を出たところに在る飼育室に居るとの事。既に11時10分だったので急いでそちらに。先客は私達と一緒に入館したカップルのみ。丁度私達がお披露目台の前に着いた時係員が奥から赤ちゃんパンダを抱えてきました。

係員がこうやって座らせるのですがまだお座りは難しいのかすぐに横になってしまいます。


お気に入り(?)のパンダのぬいぐるみとじゃれています。

窓越しなのとすぐに横になってしまうのでなかなか良い写真は撮れませんでした。







先程母親パンダを取っていたカメラマンは飼育室の中でこの赤ちゃんパンダを撮っていました。

あそこからなら結構良い写真が取れるのに!














15分程見ていましたが、妻は見飽きないようでした。









その内に疲れてしまったのか眠ってしまいました。

【豆知識】パンダの足の指は6本です。写真で並んで5本そしてその上にもう1本親指のような指が見えています。写真を拡大するとそれぞれの指に爪が延びているのが分かります。
足の付け根付近に見えるているのは肉球です。


この頃になると見学者も増えてきました。いつまでもいることは可能なようでしたが眠ったのを機にその場を離れました。

上野では見るのが大変なパンダの赤ちゃん。こちらでは平日の為かも知れませんが、それほどの人気は無いようです。

朝一に行けば気の済むまで見ることが出来ます。基本的には20分間ですが入場回数制限がないので、空いていれば何回も入場することも可能なようです。


パンダ館を出た後、その先に在る類人猿エリアにいるオランウータンを見に行きました。前回行った時の赤ちゃんがどうなったかを確認するためです。

写真が1年半前の赤ちゃんです。









我々を迎えてくれたのは若いオランウータンでした。おそらくこれが上の赤ちゃんかな?そうであってほしいと思いましたが確認はできませんでした。









結構ハンサムになっていました。













陽気さとお茶目さはまだ残っているようです。

もし違っていたらこのオランウータン君にごめんなさいです。

約2時間の滞在でした。

12時過ぎに駐車場に戻りましたが、車の数は数台増えているだけでした。
KL在住でパンダを好きな方は是非行ってみて下さい。










2018年6月8日金曜日

インドネシア バリ島ウブド周辺観光その2

バリ島最終日は午後4時5分のフライトまで時間が有るので、前日と同じ車をチャーターしました。今回は5時間で4,000円です。前日と合わせて丁度1万円でした。ルピアでもUSドルでもよいのですが、日本円で定額の価格設定なので、日本円が最も有利でした。日本円を持っててよかった~。
それにしてもバリ島の車のチャーターは安い。ラブアン・バジョーの値段に騙された感を非常に強く感じました。
6時過ぎに起きて朝食前の散歩に出かけました。

早朝のモンキー・フォレスト通りは閑散としています。









モンキー・フォレスト通りは北の端でラヤ・ウブド通りと交わったところで終わります。
その向こう側は王宮です。

少しボケた写真ですがこの時間に最も多いのが学校に子供を送るバイクです。








この角を左に折れて進むとラヤ・ウブド通りに面してウブド村寺院があります。

写真が正面から寺院を見たものです。










この寺院の西側に沿って北に住宅地の中を延びていくのがこの日の散歩コースに選んだカジェン通り(Jalan Kajeng)です。

この通りに入るとすぐに文字の刻まれた石板が路面一杯に敷かれているます。
これは旅行者や村民そしてゲストハウス等がそれぞれのメッセージを書いたものです。






中には日本人のものもあったりして、1枚1枚読んでいっても面白いかと思いました。















路の両側には個人の住宅地が並んでいます。

殆どの家には前回の最後でチラッと触れました、その家のお寺が併設されています。バリの人々がいかに信仰心が篤いのかよく理解できます。














奥に進んでいくと住宅地に紛れてゲストハウスも何軒か目につきます。長期滞在したのか欧米系のカップルが大きなバックパックを担いでゲストハウスから出てきたところに出くわしたりしました。

左の写真の奥の方には、壁の標識によると「BENホームステイ」とか「Ubud Wins's バンガロー」等の宿泊施設があるようです。









写真を撮りながら歩くこと15分。石板の道路は終わり緩やかな上り坂となりました。

写真の中央までが石板の道です。その先に橋が架かっていて道は右の方に曲がって行きます。














その先はこのような田園風景が広がっています。











田園の中に写真の左側に写っているよう建物がポツリポツリと見られます。
最初は農家と思ったのですが、殆どがヴィラでした。
これがウブドを有名にした一つの田園の中のヴィラなのかな。欧米人には貴重な体験かもしれません。しかし私には日本の田舎の風景なので懐かしくは感じますが、わざわざここまでやって来て泊まることには疑問符が付きました。




もっと先まで行く予定でしたが、この頃から小雨が降って来たのでこの辺りでUターンし急いでホテルに向かいました。その雨も王宮に着くころには止んでいました。

写真は王宮の西門を守る石像です。








この門から王宮へ少しだけ入ってみました。20年近く前に来た時に寄ったはずですが全く記憶に残っていませんでした。

















こちらはモンキー・フォレスト通りに面したサッカー場の対面に在る中学校(高校かな?)の生徒たちが道路を清掃している所です。
朝の7時50分頃です。授業の一部なのか授業前なのかわかりませんでした。









ホテルに戻って直接レストランへ。

こちらがこの日の朝食のメインのエッグ・ベネディクトとコールドカットのハムです。妻はパンケーキでしたが朝食と言うよりデザート? とても甘そうでした。








最近にしては珍しくチェックアウト時にハウスキーピングによる冷蔵庫のチェックの為結構待たされました。
9時40分に迎えに来たアルタワさんの車でこの日の最初の目的地のゴア・ガジャへ。
先ず入り口で前日に購入したお揃いのサロンを纏って記念写真。
結び方がわからないのでアルタワさんにお願いしました。
入場料は15,000ルピア(120円)です。私の前で入場券を買っていた欧米系の女性が10倍の150,000ルピアを出していました。係員に100,000ルピアを返されておつりと思ったのかそのまま行ってしまおうとするので、まだおつりが残っていることを教えてあげました。これだけ金額に桁数が多いと間違えて当たり前ですよね。私達も換算に相当苦労しました。

ゴア・ガジャとは象の洞窟と言う意味です。「地球の歩き方」によれば11世紀に作られたらしいのですが、14世紀になってオランダ人によって発掘された折、半壊していた石像が象に似ていたことからそう呼ばれるようになったとか。

写真は入り口から坂道を下って行く途中から見たゴア・ガジャの左半分です。

手前には修復されていない石のかけらが並べられています。



この写真がここのゴア・ガジャ寺院で有名な魔女ランダを模したと言われるレリーフが彫られている洞窟です。
写真を撮っている所へモデルのような美女が写り込んでしまいました???
意識的ではなかったのでごめんなさいです。








この洞窟の中には3つのリンガと呼ばれる男根を形どったヒンズー教の聖体が祀られています。この3つはヒンズー教の3大神のシバ、ヴィシヌそしてブラフマを表しているそうです。

洞窟はかなり狭く奥行きもそれほどありません。T型になっていてTの下部が入り口です。このリンガはTの右端に。対面の左端には象の頭を持つシバの長子のガネーシャが祀られています。




この洞窟の前の広場には沐浴場が残っていて、6つの女神像が彫られています。
ここでも写真を撮っていたら、先ほどとは違う別の美女が水の中に入って来ました。
ひょっとしてここの女神たちが私を歓迎してくれたのかな?








何故かこのヒンズー教の寺院には仏陀も祀られています。












途中の渓谷には石に掘りかけたのか掘ったものが埋まったのか、柱のような彫刻物を頂いた岩がありました。
この先に仏教寺院があります。










寺院と言っても祠が一つあるだけの小さなものです。

番をしているおじさんがいて、お参りするのに寄付金を促されました。10,000ルピア(80円)で家内安全と健康を祈ってきました。チョットけち臭かったかな?







およそ40分程ここで過ごした後今回のバリ島・ウブド周辺の観光の最終スポットであるイエ・プルーに向かいました。ゴア・ガジャを出て僅か数分で到着です。でも周りの景色は全く違ってきます。
入場料はゴア・ガジャと同じ15,000ルピア(120円)です。値段は何を根拠に付けられているのか不思議にには思いました。規模とか歴史的価値とかとは全く関係が無いのだけは理解できましたが。
おじさんがどいてくれない!先ほどの美女なら許せるけど。

イエ・プルー(Yeh Pulu)とは水の倉庫と言う意味だそうです。ここにはドライバーのアルタワさんも一度しか来たことないらしい。と言うことでガイドの知識を蓄えるため珍しく一緒に中へ。

上の写真の看板の向こう側の風景です。畦道を歩いているのは棚田のトレッキングをしている人たちの様です。






道はきれいに整備されていて両側に色々な種類の樹々が並んでいました。ドリアンなどのフルーツの生る木も。

勿論バリの寺院には欠かせないプルメリアの木も植えられています。こちらのプルメリアは私達がマレーシアでよく見かけるのとは少し花の色が黄色っぽい気がしました。
小さい写真のようにピンクの色をした物もありました。

とはいえここは寺院と呼ぶには程遠い遺跡です。この先で説明いたします。



100mほど道を下って行くと左側にこのイエ・プルーを説明した石碑が置かれています。先にインドネシア語その下に英語の説明が有ります。
この場所やレリーフの規模そしてレリーフには
何が描かれているのか等です。

[余談]英語の説明で一ヵ所間違いが有ります。長さが26.5m高さが3mと書いているのですが、その主語がレリーフでなくリバーになっています。誰も校正をかけなかったのですかね。The length of the river…→The length of relief…が正解ですね。


ここがそのレリーフ群の入り口です。写真でも見られるようにこの先の左側に26.5mの長さのレリーフが彫られています。
















このレリーフは5つのシーンに分かれています。

写真は奥から入り口方面を見たものです。
手前にシバ神の長子のガネーシャが見られます。その他にもヒンズー教の神の一つクリシュナの像も有ったりしますが、大半はジャングルで暮らす人々の日常が描かれています。

ここで寺院らしいのはそれらのヒンズー教の神々と入り口の門位で後は信仰するに値するようなものはありません。



こちらは家族の様子ですかね。













こちらは狩りの様子です。
どうやら獲物はイノシシの様です。












取った獲物を持ち帰ったところです。













このレリーフは14世紀から15世紀(XIV-XV)にかけて彫られたと先ほどの石碑に書いてありました。このようなレリーフが田んぼとバナナ畑で囲まれたような場所に残っているのも不思議なものですね。
写真はレリーフの奥にあるバナナ畑です。前日タマン・アユンで美味しく頂いたミニバナナが実っています。






このイエ・プルーで出会った観光客は一組だけでした。駐車場にいたおばあさんによると一日10組来れば多い方だとか。かなりレアな観光スポットだったのですね。

午前11時半近くなっていたので空港に向かいました。途中アルタワさんのお勧めのレストランで昼食。
1時間20分程で写真の「クマンギ」と言うレストランに到着。

ここを入ったところは冷房の効いた屋内のレストランでその奥は舞台もある広い屋外のレストランになっている大きな中華料理店でした。

バリ島最後の食事が中華と言うのもとちょっと疑問符が付きましたが、私はビールが飲めればそれで幸せだったのでここで良しとしました。

注文したのはまず写真の蟹の生姜煮です。













もう一つは白身魚を揚げて煮たものです。

これにビールと鳥龍茶と御飯で約330,000ルピア(2,640円)でした。

ここから空港まで20分でした。








チェックインして少し時間が有ったので写真のカフェでコーヒーを。












ほぼ定刻に離陸。眼下にはバリ島に1本しかない高速道路がうっすらと見えます。
写真では翼に付いている燃料タンクのこちらから1番目と2番目の間の海上を走っています。











こちらの写真の翼の先端の下に先日噴火したアグン山の頂が雲の上に顔を出しているのが見えます。アグン山は高さ3,142mです。

こうしてバリ島・フローレス島世界遺産の旅は無事終了しました。

いつもながらとりとめのないご紹介でしたがお付き合いありがとうございました。