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トンガ ホウマ・ブローホール
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4月13日はフィジーからトンガに向かって終日クルーズです。
この日も1時間時計を進めました。GMT(UTC)+13時間です。日本より4時間進んだことになります。
日付変更線は東経(西経)180度ですが、この辺りは入り組んでいて、トンガは世界で最も早く一日が始まる国の一つです。
写真のテレビはフィジーのスバに入港した時ですが、東経178度25分になっています。なのでフィジーはGMT(UTC)+12時間でした。
ここから東はGMT(UTC)-12時間になるはずですが、トンガは+13時間としています。
世界で一番早く1日が始まるのは、トンガの東にあるキリバスと言う国です。GMT(UTC)+14時間です。日本より5時間早いことになります。
この日は180度を超える瞬間を見ようとしていたのですが、夜半に通り過ぎたのか気が付いた時には既に西経に変わっていました。
午前中は部屋で今回の旅行の記録を書いたりしていたら既に12時過ぎ。
ランチと言うかビールを飲みにビュッフェレストランへ。この船の航跡が真っ直ぐ青い海に白く水平線迄引かれていました。
食後妻とゲーム。今回はローンボールではなく、的の穴に四角いお手玉のような物を入れるゲームでした。
ゲームの名は分かりません。
船上と言う事を忘れさせます。
やはりこの夜も正装している人はそれほど多くありませんでした。
やはりヨーロッパのクルーズとは違い、南太平洋はカジュアル感が強いようです。
この夜のショーはニッキー・ベネットと言うオーストラリアの女性歌手が、オーストラリア出身で初のグラミー賞を獲得したヘレン・レディーの一生を歌と共に紹介しました。
席を捜していると目の前に日本人のご夫婦がいらっしゃったので声をお掛けし、少しお話をしました。先日知り合ったYさんご夫妻と同じツアーで参加されているNさんご夫妻でした。その方から以前アラビアンクルーズに参加した話を聞き食指が動きました。
朝6時過ぎに起きてカーテンを開けると空が茜色に染まっていました。
今日のエクスカーションの集合は7時45分なので、そのまま起きて朝食に向かいました。
ビュッフェ・レストランの船尾のオープンエリアで、トンガの島々の向こうから上ってくる朝日を見ながらの朝食は今回のクルーズの朝食の中で最も印象に残るものとなりました。
7時にトンガの首都のヌクアロファに入港、着岸の準備が始まりました。
写真右手中央付近に見えるのが、王宮です。
町が朝焼けで赤く染まっています。
プールサイドにも朝日が当たってきました。
水着の用意などをして待合場所のシアターへ。
写真はこの日のエクスカーションのチケットです。
今回はそれほど待たされることなく下船し、バスに向かいました。
桟橋の中ほどで、島民が歓迎の歌を歌ってくれていました。
トンガは昨年の1月に大地震があり大きな被害を受けました。このクルーズでも最近まで、トンガに寄港できるか不明だったようです。私たちは観光バスの不足等の不便さは耐えてほしい旨が伝えられていました。
これまで帰港した国と違い、ツアーバスはマイクロバスで、クーラーもついていません。
バスの入り口に立っているのが、今回の私たちグループのガイドのマリアさんです。
新人なのか恥ずかしそうに説明する姿が印象的でした。
マイクも無いので聞き取れないくらいの小声でしたが。
トンガ王国は171の群島からなる国ですが、そのメインアイランドのトンガ・タプ島は奄美諸島の徳之島くらいの大きさです。人口は75,000人程でトンガ王国全体の75%を占めています。
写真はマツダのサービスセンター。
地域ごとに教会が有り、必ず付属の学校があるそうです。
こちらは墓地ですが、それぞれのお墓に埋葬された方の写真が大きく飾られていました。
故人に対する思いの強さが分かります。
郊外の家に椰子の木、バナナの木やパンの木などが植えられていました。
また農耕地(?)には椰子の木で覆われた敷地にタロイモやキャッサバ(タピオカ)が植えられていました。
30分ほどして話すことが無くなったのか、ガイドさんが歌を歌ってくれました。
体格も良かったのですが、話しているときの声より何倍もの声量が有り、とても上手でした。
ここから少し行くと目の前に海が見えてきました。
お墓が少し気になりますが、ここが最初の目的地のハアタフ・ビーチです。
説明によるとここでシュノーケリングもできると聞いていたのですが、マリンスポーツセンターやホテルはおろか、建物が一切ありません。
砂浜で水着に着かえ海に入るだけです。
妻は水着を着て来ていたので、折角きれいな海なので浸かりに行きましたが、私は写真を撮っただけでした。
確かにスノーケリング用具を持参した人たちは楽しんでいましたが。
ビーチはとても長く100mぐらい沖にはどこまでも続くリーフが有るので、波は入ってきません。
海水浴には最適ですが、泳いだ後休む場所もなく、宝の持ち腐れ?
本当にいいビーチなんですが。
30分でバスに戻り、水かココナッツが配られました。
トラックにココナッツを積んだおじさんがココナッツに穴をあけてストローを差して下さるのですが、これが何と無料。
どこの家にもあるので、無料で提供してくれているようです。
トンガは裕福で住民はすべて家を持っているそうです。
教会付属の学校があるように教育も熱心なようです。
写真は高等学校かな?
ココナッツを飲みながら次の目的地、ホウマ・ブローホールに向かいました。
写真は途中にあった、椰子農園です。
ここの近くに名物の一つになっている、3 Headed Coconut (3つの頭のココナッツ)が有りました。
椰子の木は通常枝分かれは無いのですが、この木だけは途中で2又に別れその先でも2つに分かれているので、3つの頭頂部があることになります。
ヌクアロファの町の中に、ここまで10kmと言う看板が有りました。
やがて車は海岸へ。先ほど行った海岸を15km程南下した場所になります。
ブローホール、つまり日本では潮吹き岩などの愛称で呼ばれる地形です。
外海からのうねりがリーフなどの岩場に押し寄せ、海中の穴を通って岩の上に開いた穴から海水を噴き上げる現象です。
先ほど頂いたココナッツが飲み終わっていなかったので、吹き上がる潮と一緒に撮ってみました。
潮が吹きあがる時の音もまた魅力の一つです。
当然私たちの船の乗客以外にも多くの観光客がトンガに来ていることになります。
一日も早くトンガが地震災害から復興することをお祈りします。
最後にもう一度潮吹きを見てからバスに戻りました。
これは潮吹きよりも波が砕ける方が大きい。
20分ほど過ごしたのち10時50分頃町に向かいました。
写真は路肩の屋台です。タロイモやキャッサバが大量に売られていました。
フィジーと同様トンガもラグビーが盛んです。日本のチームでも沢山のトンガ選手が活躍しています。
自由なトンガの教会と名付けられたフリー・チャーチです。
市内観光をしていたTさん夫妻は中に入ったそうですが、私達は5分しかなく外から写真を撮っただけでした。
こちらは側面です。
ズームすると建物の端にエクリプス号の煙突が見えています。
この教会の反対側に王家の墓が有ります。
王家の墓から5分程で海沿いにある王宮(ロイヤル・パレス)へ。
1867年に木造の王宮が建てられたそうですが、老朽化の為2010年に大規模改修が行われたそうです。
一般公開はされていません。
ゲートの紋章です。
王宮横で記念写真。
港の近くには首相官邸や政府の主要機関が入ったセイント・ジョージ・パレスなどが立っています。
午前11時40分頃船に帰ってきました。
部屋に戻って、妻がシャワーを浴びている間に私は冷えた白ワインを。
午後1時にビュッフェ・レストランへランチに。
この日はメキシカンスペシャルでした。
チリコンカーンやフジャータ等たっぷりお腹に詰め込みました。
トンガ・タプ島はこの写真と次の写真から分かるように、全く山どころか丘もありません。
Tさんに言わせるとパンケーキ島だそうです。
これでは確かに東日本の震災時のような大きな津波が来たらひとたまりもありませんね。
出港迄の間にトンガのダンスチームが乗船してきてプールサイドで踊ってくれました。
また埠頭では地元の学生の合唱団のような人たちが歌って送ってくれました。
写真のように船首や船尾には埠頭がありません。
離岸時にはここにボートで係員が渡ってきて、舫を外します。
埠頭の長さは船の半分?
出港が午後4時なので3時半には乗船するよう忠告されているのですが、3時50分過ぎに到着したバスもいました。
結局最終乗船者は3時58分。
4時に出港の合図の汽笛が鳴りました。
可愛そうなのは舫を外す係員。日よけもない上の写真のブロックの上に30分以上待たされていました。
夕食はTさん夫妻と待ち合わせ6時半にビュッフェへ。
食後シアターへ。OZ Boysという3人組のショーで、お客も巻き込んでのショーは1分たりとも私達を飽きさせませんでした。
今回のショーの中でベストでした。
翌日は終日クルーズで最後の寄港地、バヌアツのミステリー・アイランドに向かいます。