2023年5月28日日曜日

オーストラリア と 南太平洋クルーズの旅 その13- ミステリーアイランド

 

バヌアツ・アネイチュム島

4月14日にトンガのヌクアロファを出発。翌15日は終日クルーズでバヌアツの最南端にあるミステリー・アイランドに向かいました。

左のテレビの画面で位置関係が分かります。写真を撮ったのは15日の午後1時52分。丁度フィジーの真南を西に向かって速度時速38㎞位で進んでいます。(1ktsは1ノットのことで1時間に1852m走る速度です。20.8kts x 1.852㎞は時速38㎞程と言う事になります。)

14日は1時間時間を遅らせフィジータイムに。15日もさらに1時間遅らせニューカレドニアタイムになります。朝今回のクルーズで初の曇り空で、時々雨も。


ランチに初めて4階のムーンソナタ・レストランに行ってみました。

ビュッフェのオーシャンビュー・レストラン以外のレストランは朝・昼・夜とすべてアラカルトです。

たまたま入ったこの日のメニューに何と長崎皿うどんが有りました。






これがその皿うどんです。確かに皿にうどんが盛られているので、間違いのですが。これなら長崎の文字は消してもらいたいですね。
思っていたものと少し違いましたが、まずまずでした。

食欲を落とされていたTさんに連絡。しかし待っても来ない。再度連絡したらビュッフェ・レストランの事と勘違いしたようでした。
残念、これなら食べられると思ったのですが。

こちらはマッシュルームのフライです。

食後シアターでトム・クルーズの「トップガン・マーベリック」を観ました。終わると同時に館内放送が有りました。キャプテンからの緊急発表でした。何とコロナの陽性者が出たとのこと。特別な行動制限はなく様子を見るとのことでした。但し船内を動く時はマスクの着用が指示されました。部屋に帰るとマスクが2枚とサニタイザーが配られていました。その他船内各所にマスクが置かれるようになりました。もともとシアターの入り口には自由に使えるマスクが置いてあったので結構利用していました。


夕食は多くの人が歩き回るビュッフェは避けて、メイン・レストランのムーンソナタに行きました。

各テーブルにはこのように担当者が決まっています。食事はクラレンス君、ワインはビスト君が担当してくれました。

この夜はショーに行くのもやめて部屋で読書でした。

前夜は早く寝たので、翌16日は6時半に起床して7時前に朝食に行きました。

食後デッキに出るとバヌアツの島影が見えていました。

バヌアツ最南端の小さな島、アネイチュム島です。


青いペンでマークしたのがそのアネイチュム島です。

距離的には首都のポート・ビラよりニュー・カレドニアに近いくらいです。

ミステリー・アイランドはそのアネイチュム島の南端に浮かぶとても小さな島です。




写真の岬の先にミステリー・アイランドが見えてきました。写真を拡大してみないと見えない小さな島です。

周りがリーフに囲まれ、その内側はコバルトブルーのラグーンのようになっています。



出発まで腹ごなしに船内を散歩しました。

写真は船首にあるトレーニング・ジムです。これで半分くらいなので、満員で使用できないと言う事は無さそうです。

海を見ながらトレーニングするのは憧れますが、結局一度も利用することはありませんでした。


私達はグラスカヤックに乗ったり、スノーケリングをするコースを購入していました。Tさん夫妻はリーフでのスノーケリングです。

ミステリー・アイランドは小さな島なのでエクリプス号が停まる桟橋はありません。100人乗りの救命ボート(テンダー)を利用してエクリプス号と島とを往復してくれます。

写真は送迎のテンダーの船内です。

島にかかる桟橋です。

5分程で到着しましたが、着岸の順番待ちで船内でそれ以上待たされました。

数隻のテンダーを使用しているので、乗客が次々と運ばれて行きます。

約3千人の乗客の内何人がこの島に来るのでしょうか。

他にクルーズ船がいないのでこの日はエクリプス号の貸し切り状態です。


桟橋からビーチを見ただけで、ワクワクしました。

実際泳ぐのはこちら側ではなく、島の反対側です。反対側と言っても細長い島を横切るのは2~3分です。

沖合に停泊しているエクリプス号との距離感はこんなものです。


それぞれのツアーのガイドがこのような番号札を持っていて、目的地へ案内してくれます。
恐らくこの日はエクリプス号の乗客の貸し切りの様です。

写真の奥の方に座っている現地の方々が歓迎の音楽を奏でてくれていました。


こちらがその楽団(?)です。

いくらかチップはもらえたのでしょうか。


Tさん夫妻が乗ったテンダーも約10分後に到着したのですが、私たちがガイドを待っている間に、先に目的地に行かれました。

私達は早く出られた分、長く待つことになりました。

ガイドが来る迄しばらくその周辺を歩いてみました。

島内にある建物はすべてこのような藁葺き屋根(ヤシの葉の屋根)です。

写真のようなツアーの案内が幾つかありました。船のツアーを買わず、現地で買うこともできます。

これは島内に何か所かあるトイレです。

中を写したのもありますが、さすがにそれはページを汚すので止めます。勿論洋式ではありません。

ここで用を足す勇気のある方はいるのかな?



20分ほどしてやっとガイドが来たので、島の中の道を歩いてビーチの北側(恐らく北と思われる方向。本船から見て右の方向です。)
へ向かいました。

私達のグループは先日船でお会いしたYさんを含めて12名ほどでした。



こちらは反対側(南側)です。






彼がこのツアーのガイドです。後ろにあるのがグラスカヤックです。

木陰に現地の女性と子供がいて、ブルーシートを敷いて待っていました。そこで水着になり、ライフジャケットを装着した後、彼によるカヤックの漕ぎ方の説明です。


荷物はまとめてブルーシートの上に置いておくだけなので心配でしたが、持って行くわけにいかずそのままにしてカヤックへ向かいました。
透明のカヤックに2人ずつ乗り込み出発です。
大体の区域を指定されたので、その範囲を自由に漕げます。

但し調子に乗って漕ぎやすい風下に向かったら、帰りが大変です。
もっとたくさんの魚が見えるのかと期待してたのですが、カヤックの上からは殆ど見つけることはできませんでした。

そのうちにカヤックの水滴で殆ど水中が見えなくなってしまいました。

妻のお尻を見るだけではつまらないので、早々に引き上げました。



ライフジャケットを返却し、今度はスノーケリングです。荷物はそのままで貸してくれた水中眼鏡とフィンを持って、島の北端に向かいます。
写真のような岩場から入って、荷物を置いているところまで泳いで戻るとのこと。

妻はライフジャケットを引き続き使用したかったのですが、貸してくれませんでした。

代わりに浮き輪が輪ではなく棒状になった物を貸してくれました。
それを胸の下に入れて泳ぐのですが、ライフジャケットより海中が見やすいそうで、気に入ってました。
私は水中眼鏡だけ借りて自由に泳ぐことにしました。

フィジーでもいたゴマチョウチョウウオです。
この後はフィジーとダブらないものを紹介します。
しばらくは魚の写真が続きます。


この黄色くてかわいらしい魚はコガネヤッコと言うそうです。

臆病なのか岩の下に隠れて、クリッとした目であたりを窺っています。




こちらもペアですが、トゲチョウチョウウオです。








これもチョウチョウウオの仲間で、フウライチョウチョウウオだそうです。







サンゴとセグロスズメダイです。

他にも多種いたのですが、写真が下手で上手く撮れていませんでした。

後でTさん夫妻に聞いたのですが、あちらのグループはリーフ付近からビーチまで泳がされたそうで、相当疲れていました。
でもリーフ付近は魚影が濃く、まるで水族館の中で泳いでいるようだったそうです。
11時半に上がって、水着を着たまま桟橋に向かいました。

途中ビーチを去る前に記念写真を。






ミステリー・アイランドは小さな島ですが、何と空港が有ります。

これが滑走路。誰ですか、真っ直ぐなロングホールだねって言ってるのは。





空港のターミナルとエクリプス号を一緒に撮ってみました。








桟橋近くでカメレオンを肩に載せて記念写真を撮っているカップルです。







12時過ぎに迎えのテンダーに乗り込みました。

島を出るまで結構待たされましたが、桟橋を離れると3分で到着。

私が荷物を部屋に持って帰り、妻は直接プールに向かいました。

私は部屋に帰ってシャワーを浴び、一息つきました。

その後Tさん夫妻と4人でランチに。

午後1時45分が最後のボートです。

予定は2時30分出港です。出港と言っても港から出るわけではありませんが。
船はアネイチュム島の沖合に錨を降ろしています。




これがミステリー・アイランドの全貌です。横に1kmは無いと思います。盾は100m程の細長い島です。




名残惜しくてビュッフェ・レストランの船尾のデッキで小さくなるまで見てました。












島の北端です。

リーフ内のコバルト・ブルーが良く分かります。

夜は疲れたのでビュッフェで軽くすまし、ショーもパスしました。

寝る前に更に1時間時間を戻しオーストラリア時間にしました。

この後船は一路シドニーを目指します。2日間の終日クルーズです。そのクルーズとシドニーそしてマレーシアに帰るまではこの旅行記の最終回として次回お届けします。















2023年5月21日日曜日

オーストラリア と 南太平洋クルーズの旅 その12- トンガ

 

トンガ ホウマ・ブローホール

4月13日はフィジーからトンガに向かって終日クルーズです。

この日も1時間時計を進めました。GMT(UTC)+13時間です。日本より4時間進んだことになります。
日付変更線は東経(西経)180度ですが、この辺りは入り組んでいて、トンガは世界で最も早く一日が始まる国の一つです。
写真のテレビはフィジーのスバに入港した時ですが、東経178度25分になっています。なのでフィジーはGMT(UTC)+12時間でした。
ここから東はGMT(UTC)-12時間になるはずですが、トンガは+13時間としています。

世界で一番早く1日が始まるのは、トンガの東にあるキリバスと言う国です。GMT(UTC)+14時間です。日本より5時間早いことになります。
この日は180度を超える瞬間を見ようとしていたのですが、夜半に通り過ぎたのか気が付いた時には既に西経に変わっていました。
午前中は部屋で今回の旅行の記録を書いたりしていたら既に12時過ぎ。

ランチと言うかビールを飲みにビュッフェレストランへ。この船の航跡が真っ直ぐ青い海に白く水平線迄引かれていました。





食後妻とゲーム。今回はローンボールではなく、的の穴に四角いお手玉のような物を入れるゲームでした。

ゲームの名は分かりません。










こちらではパター大会をやっていました。

船上と言う事を忘れさせます。







この日は今回のクルーズ2度目のシックデイです。

やはりこの夜も正装している人はそれほど多くありませんでした。

やはりヨーロッパのクルーズとは違い、南太平洋はカジュアル感が強いようです。


この夜のショーはニッキー・ベネットと言うオーストラリアの女性歌手が、オーストラリア出身で初のグラミー賞を獲得したヘレン・レディーの一生を歌と共に紹介しました。

席を捜していると目の前に日本人のご夫婦がいらっしゃったので声をお掛けし、少しお話をしました。先日知り合ったYさんご夫妻と同じツアーで参加されているNさんご夫妻でした。その方から以前アラビアンクルーズに参加した話を聞き食指が動きました。

開けて4月14日です。
朝6時過ぎに起きてカーテンを開けると空が茜色に染まっていました。

今日のエクスカーションの集合は7時45分なので、そのまま起きて朝食に向かいました。





ビュッフェ・レストランの船尾のオープンエリアで、トンガの島々の向こうから上ってくる朝日を見ながらの朝食は今回のクルーズの朝食の中で最も印象に残るものとなりました。






7時にトンガの首都のヌクアロファに入港、着岸の準備が始まりました。

写真右手中央付近に見えるのが、王宮です。

町が朝焼けで赤く染まっています。


ツアーの準備の為部屋へ。

プールサイドにも朝日が当たってきました。







水着の用意などをして待合場所のシアターへ。

写真はこの日のエクスカーションのチケットです。

今回はそれほど待たされることなく下船し、バスに向かいました。



桟橋の中ほどで、島民が歓迎の歌を歌ってくれていました。









彼らの視線の先にエクリプス号が泊っています。









トンガは昨年の1月に大地震があり大きな被害を受けました。このクルーズでも最近まで、トンガに寄港できるか不明だったようです。私たちは観光バスの不足等の不便さは耐えてほしい旨が伝えられていました。

これまで帰港した国と違い、ツアーバスはマイクロバスで、クーラーもついていません。

バスの入り口に立っているのが、今回の私たちグループのガイドのマリアさんです。

新人なのか恥ずかしそうに説明する姿が印象的でした。
マイクも無いので聞き取れないくらいの小声でしたが。
港を出て町の中を通り対岸側に向かいました。

トンガ王国は171の群島からなる国ですが、そのメインアイランドのトンガ・タプ島は奄美諸島の徳之島くらいの大きさです。人口は75,000人程でトンガ王国全体の75%を占めています。








日本車もかなり入っています。
写真はマツダのサービスセンター。












地域ごとに教会が有り、必ず付属の学校があるそうです。












こちらも途中の部落の教会です。













こちらは墓地ですが、それぞれのお墓に埋葬された方の写真が大きく飾られていました。
故人に対する思いの強さが分かります。











郊外の家に椰子の木、バナナの木やパンの木などが植えられていました。












また農耕地(?)には椰子の木で覆われた敷地にタロイモやキャッサバ(タピオカ)が植えられていました。

30分ほどして話すことが無くなったのか、ガイドさんが歌を歌ってくれました。
体格も良かったのですが、話しているときの声より何倍もの声量が有り、とても上手でした。

写真の奥に空港があります。

ここから少し行くと目の前に海が見えてきました。











お墓が少し気になりますが、ここが最初の目的地のハアタフ・ビーチです。









説明によるとここでシュノーケリングもできると聞いていたのですが、マリンスポーツセンターやホテルはおろか、建物が一切ありません。

砂浜で水着に着かえ海に入るだけです。
妻は水着を着て来ていたので、折角きれいな海なので浸かりに行きましたが、私は写真を撮っただけでした。


確かにスノーケリング用具を持参した人たちは楽しんでいましたが。








ビーチはとても長く100mぐらい沖にはどこまでも続くリーフが有るので、波は入ってきません。

海水浴には最適ですが、泳いだ後休む場所もなく、宝の持ち腐れ?



本当にいいビーチなんですが。

30分でバスに戻り、水かココナッツが配られました。

トラックにココナッツを積んだおじさんがココナッツに穴をあけてストローを差して下さるのですが、これが何と無料。
どこの家にもあるので、無料で提供してくれているようです。

トンガは裕福で住民はすべて家を持っているそうです。

教会付属の学校があるように教育も熱心なようです。

写真は高等学校かな?




ココナッツを飲みながら次の目的地、ホウマ・ブローホールに向かいました。

写真は途中にあった、椰子農園です。







ここの近くに名物の一つになっている、3 Headed Coconut (3つの頭のココナッツ)が有りました。

椰子の木は通常枝分かれは無いのですが、この木だけは途中で2又に別れその先でも2つに分かれているので、3つの頭頂部があることになります。

ヌクアロファの町の中に、ここまで10kmと言う看板が有りました。




やがて車は海岸へ。先ほど行った海岸を15km程南下した場所になります。

ブローホール、つまり日本では潮吹き岩などの愛称で呼ばれる地形です。

外海からのうねりがリーフなどの岩場に押し寄せ、海中の穴を通って岩の上に開いた穴から海水を噴き上げる現象です。


先ほど頂いたココナッツが飲み終わっていなかったので、吹き上がる潮と一緒に撮ってみました。

潮が吹きあがる時の音もまた魅力の一つです。





かなりの人が出ていました。

当然私たちの船の乗客以外にも多くの観光客がトンガに来ていることになります。

一日も早くトンガが地震災害から復興することをお祈りします。




最後にもう一度潮吹きを見てからバスに戻りました。

これは潮吹きよりも波が砕ける方が大きい。
20分ほど過ごしたのち10時50分頃町に向かいました。

写真は路肩の屋台です。タロイモやキャッサバが大量に売られていました。


フィジーと同様トンガもラグビーが盛んです。日本のチームでも沢山のトンガ選手が活躍しています。







自由なトンガの教会と名付けられたフリー・チャーチです。

市内観光をしていたTさん夫妻は中に入ったそうですが、私達は5分しかなく外から写真を撮っただけでした。

こちらは側面です。

ズームすると建物の端にエクリプス号の煙突が見えています。







この教会の反対側に王家の墓が有ります。





王家の墓から5分程で海沿いにある王宮(ロイヤル・パレス)へ。

1867年に木造の王宮が建てられたそうですが、老朽化の為2010年に大規模改修が行われたそうです。

一般公開はされていません。

ゲートの紋章です。










王宮横で記念写真。
港の近くには首相官邸や政府の主要機関が入ったセイント・ジョージ・パレスなどが立っています。








午前11時40分頃船に帰ってきました。

部屋に戻って、妻がシャワーを浴びている間に私は冷えた白ワインを。







午後1時にビュッフェ・レストランへランチに。
この日はメキシカンスペシャルでした。
チリコンカーンやフジャータ等たっぷりお腹に詰め込みました。





王宮とフリーチャーチが写っています。

トンガ・タプ島はこの写真と次の写真から分かるように、全く山どころか丘もありません。

Tさんに言わせるとパンケーキ島だそうです。




これでは確かに東日本の震災時のような大きな津波が来たらひとたまりもありませんね。
出港迄の間にトンガのダンスチームが乗船してきてプールサイドで踊ってくれました。

また埠頭では地元の学生の合唱団のような人たちが歌って送ってくれました。



写真のように船首や船尾には埠頭がありません。

離岸時にはここにボートで係員が渡ってきて、舫を外します。






埠頭の長さは船の半分?

出港が午後4時なので3時半には乗船するよう忠告されているのですが、3時50分過ぎに到着したバスもいました。

結局最終乗船者は3時58分。
4時に出港の合図の汽笛が鳴りました。

可愛そうなのは舫を外す係員。日よけもない上の写真のブロックの上に30分以上待たされていました。


夕食はTさん夫妻と待ち合わせ6時半にビュッフェへ。

食後シアターへ。OZ Boysという3人組のショーで、お客も巻き込んでのショーは1分たりとも私達を飽きさせませんでした。
今回のショーの中でベストでした。

翌日は終日クルーズで最後の寄港地、バヌアツのミステリー・アイランドに向かいます。

このブログもそろそろ最終章です。