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| 青の都サマルカンドを象徴するシャーヒズィンダの霊廟群 |
余分に2か所に寄ったのにも関わらず、ブハラ駅には予定より30分以上早く着きました。
駅の待合室は満席です。コーヒーを買って、やっと見つけた椅子に座って待つことに。
定刻16:55発のブハラ発タシケント行きです。
私達の列車は709便。座席は5号車の29/30番の席です。
改札迄行って左のチケットを見せて確認したら、今改札しているのは私達の乗る列車でした。
列車は比較的新しく快適でした。写真の左手前の車両は特急かな。私達が乗るのは奥に停まっている列車です。
写真で分かるように、プラットホームはレールの高さと同じです。大きなスーツケースを持って乗るのは、か弱い女性(?)には無理。
妻がお願いすると車掌さんがスーツケースを持ち上げてくれました。半分から座席の向きが変わるタイプの車両で座席は2+1の配列でした。(片側に2席、反対側に1席)
列車が出ると間もなく日没になったので、外の景色は余り見えませんでした。
USBが付いていたのでスマホの充電ができたのがありがたかった。
遅れる理由がないのに19:10の定刻より10分程遅れてサマルカンド到着です。
半分以上の乗客がここで下車。
エージェントのSRP社から待ち合わせ場所のガイドを頂いていたのに、多くの乗客と同様に正面の出口に出てしまいました。(旅程表ではタシケントよりの出口と指定が有りました。)
この結果、当然迎えのドライバーが見つからずエージェントに電話したりしている内に、初日からとっていたメモ帳を紛失してしまいました。これはショックでした。この結果このブログも多少正確性を失くしているかも知れません、
駅からホテルまでは20分ほど。今回の宿泊はレギスタン広場の西側にあるKo'k Saroy Plaze Hotelです。予約時は2泊でUS$189.4でした。チェックイン時に先払いで2,871kスムでした。カラオケで歌いながら踊っている女性も。
サラダとウズベキスタン風うどんのラグマンとナン。
時間が無いので焦って食べました。
これで110kスム、約1,400円でした。今夜は安上がりと喜んでレギスタン広場へ向かいました。
ここから歩いて5分程でレギスタン広場の西にある公園に出ます。
入口があったので入ろうとしたら何と有料。
1人100kスム、約1,270円です。2人で2,540円。夕食より高い。
既に21時を回っていて広場から音楽が聞こえてきました。広場は比較的空いていて、前の方で見ることが出来ました。
映し出される映像もそうですが刻々と色彩が変わっていく両方のメドレセも素敵でした。
内容が分からなくても映像と音響で十分楽しめました。
遅れて着いた割には、ショーの半分くらいは見ることができラッキーでした。ショーが終わった後で、後ろを見ると大勢の人が柵の外の階段からショーを観ていたことに気が付きました。
そこから観ると入場料は不要でした。
但しショーの開催予定日を私達は知ることが出来ないので、時間(21:00)に行ってみるしかないようです。
広場への入場料はこのショーの為ではなく、広場に入るためです。と言う事は、この広場の3つのメドレセに入るには、夜であろうが昼間であろうが、このチケットを買う必要があるということです。
ショーは夕食後に外から観て、チケットを買って入るのは昼間に3つのメドレセの内部に入る時にした方が良さそうでした。
美しくライトアップされたメドレセを上の写真の左から順に紹介します。左のメドレセはウルグベク・メドレセです。ブハラ編で紹介しましたウルグベクが建てた3つのメドレセの一つです。右側のミナレットが少し左に傾いています。
重複しますがメドレセとは寄宿舎付きの神学校です。
真ん中が「金箔を施された」と言う意味を持つティラカリ・メドレセです。この豪華なメドレセの内部は後ほどお伝えします。
上で紹介したプロジェクション・マッピングはこのメドレセに映し出されていました。
そして右側が「虎がはいっている」という名を持つシェルドル・メドレセです。
写真では見づらいですが、ブハラのナディール・ティヴァンベギ・メドレセと同じようにアーチの上部に通常イスラム教ではありえない人物や動物が描かれています。
又このメドレセは2つの襞の入ったドームが特徴的です。
この写真は真ん中のティラカリ・メドレセを写したものですが、写真中央下部に3段のステップが写っています。上の写真を撮っていた時に事件が。何とこの段差があることに気が付かづ、シェルドル・メドレセの全体を写そうとバックしていて一段目を踏み外してしまいました。そこを何とかこらえたものを2段目も踏み外し、左手を着いたのですが派手に転倒してしまいました。
右手にカメラを持っていたのと左わきにスマホを持っていたのですが、2つとも飛んでいきました。幸いどちらも無事でしたが。
左手首と左わき腹を強打し、右足をすりむいてしまいました。大きな音がしたので、妻と近くにいた男性が飛んできてくれました。救急車を呼ぶか尋ねられたのですが、さすがにそれは無いと思い大丈夫と答えました。
もうそれ以上ここに留まる理由もないのでホテルに戻りました。ところが夜中に手首が痛みだし、全く眠れませんでした。夜中にクレジット会社に連絡し、保険の適用をお願いしました。取り敢えず治療が必要なので朝になるのを待ってSPRの社長の盛井さんに連絡し、この日のガイドに病院に連れて行ってもらうことになりました。
痛くて手が上がらないのですが、何とか朝食を済ませました。ビュッフェスタイル。こちらが食事の列。
コーヒーはスタッフが持って来てくれます。インスタントではありませんでした。
予定の9時にドライバー・ガイドのダレルさんが迎えに来てくれました。
来る前にSRPさんの方で緊急病院を捜してくれていたのでそちらに向かいました。
しかし、ここには整形担当の医師がいないとのこと。郊外のもう一つの病院へ行きました。
日曜日の為か病院内は閑散としていました。
先ずレントゲン。三和土のレントゲン室。手首、左の肋骨を撮りました。ところが医師の指示で再度異なる方向からの写真も取ることに。
医師が診るには骨は折れてないし、ヒビも見えない。多分捻挫だろうが、ここのレントゲンは余り良くないのでマレーシアに帰ったら大きな病院で再検査するようにとの事でした。
処方箋を持って病院の門の外に2軒の薬局が並んでいる内の一軒で、痛み止め、化膿止、湿布薬、腕のサポーターを購入し、再度診察室へ。
医師がサポーターを付けたら合わない。何と左手なのに右手用を買ってきてたらしい。ガイドのダレルさんが交換に行って来てくれました。
左端がダレルさん、真ん中が担当医師、右がたった一人だけ英語が話せるインターン(?)。
ダレルさんがいないと全く話が解らなかったかも。
治療費は診察・治療費がレントゲンを含んで262kスム、薬代が217kスム、サポーターが80スム、計約7,100円でした。
この国では保険が無く、すべて国が補助するため治療費が安いとのことでした。
おもしろいのは治療内容にしろ処方箋にしろすべて手書き。写真は処方箋です。
マレーシアの病院で見せても無視されました。おそらく多くの薬はロシア製と思われます。
手首より咳をするとわき腹が痛いので、ゆっくり走って欲しいと条件を付けて、最初の予定通りシャーヒズィンダの霊廟群に向かうことにしました。
30分程で霊廟群の向かいの丘の上に到着。
そこに車を停めて入り口(上の写真尾右側のアーチの門)に向かいました。
ここは日本の某カメラメーカーが提供しているTBSの「世界遺産」と言う番組中のCMに出て来る青の都です。
今回のメインスポットでここの写真を撮るために今回の旅行を企画した様な物なのに、左手が使えずカメラが持てない。ここでの写真はほゞ妻に頼りました。
この門はダルヴォザハナと言われウルグベクの命によって建てられました。
シャーヒズィンダとは、「生きている王様」と言う意味です。預言者ムハマンドのいとこのクサマ・イブン・アッバースが行軍中致命傷を負ったのですが、ここの地下に隠れ今も生きていると信じられていることに由来します。
彼の廟は突き当りの右側になります。写真はその内部です。
またこの霊廟群にはティムール由来の人たちが多く眠っています。追々紹介します。入口を入ると直ぐに急な階段になります。
これは天国への階段と呼ばれています。
私達は照合したら2人とも同数でした。これで2人とも天国に行けるかな?イスラム教徒以外はだめだったりして。
左の写真は階段の上から振り返って撮ったものです。階段の横にある青いドームを持つあるカズィデザ・ルミ廟です。
ウルグベクの天文学の師であるカズィデザ・ルミのお墓です。
誰の廟か分かっている廟と不明な廟があるそうです。先ず最初のいくつかはティムール族の霊廟群です。
手前がアミール・ゾダ廟でティムールの部下の息子の為に建てられました。
シャーヒズィンダ霊廟群の中でも最も美しいと言われています。
荘厳なだけでなく繊細で美しい装飾で覆われています。
そしてその隣が写真のティムールの妹シリン・ベク・アガの為に建てられた廟です。
こちらは淡い色調で穏やかな感じがします。
この辺りに1390年代に多くの廟が建てられたのですが、現在は2つの無名の廟と名前の付いた2つの廟だけです。
それにしても多くの観光客が通りを埋め尽くしていました。
左の写真は上の写真の右手手前から2つ目の廟です。
こちらはアリーム・ネセフィと言う建築家が建てたものですが、だれの為なのかはわかっていません。
廟の装飾にはほとんどレリーフの塗装されたマジョリカの技術が使われています。
入口の装飾の八角形の星模様は特徴的です。
白いドレスの美しい女性とのコントラストが何とも言えない?
右手の2つのドームは廟とモスクがまとまった建物で、この霊廟群の元になっている11世紀に建てられたクサマ・イブン・アッバース廟です。
行き止まりにあるのがフジャ・アフマッド廟、そしてその左がトゥマン・アカ廟です。
先ずクサマ・イブン・アッバース廟です。入口です。
写真はその入り口の扉。
元は金、銀、象牙で覆われていたそうです。
天国の扉と呼ばれていたそうで、ここを3回通るとメッカに詣でたと同じと信じられていたそうです。
ミナレット内部に入るための入口が残っています。
今はミナレットはありません。
写真はモスクのドーム。
古いのはどちらだと思いますか。
手前の鮮やかな方がもともとあったタイル。指で指しているくすんだ方が新しいものです。
今ではこの鮮やかな色を出す技術とか材料がないらしい。
ガイドのダレルさんと私の痛々しい左手。1340年代に建てられたそうです。
アラビア語で「アラーが彼らの存在を永遠にすれば、お墓にホジャ・アフマドの幸福の光が与えられる」と書かれているそうです。
左手のアラビア語は「彼の心の美しさによって、彼の葉かも幸せで光り輝くように」と書かれているとか。
ホジャ・アフマドがどのような人だったかは分かっていません。
部分・部分で異なった模様が描かれています。
この後ウルグベク天文台、ランチ、ビビハニム・モスク、ショブ・バザール、グル・アミール廟と回りました。
そちらの様子は次のサマルカンド観光の前編2でお伝えします。





















































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