2025年11月22日土曜日

ウズベキスタンの旅 その6 ブハラ観光 後編2

 

カラーン・モスクの中庭より

朝食後荷造りをすませ、部屋に置いたまま昨日入れなかったカラーン・モスクへ向かいました。

途中で見かけたザクロのモニュメント?










民族衣装で装った出勤途中のご婦人たちが、楽しそうに笑いながら通り過ぎて行きました。







このカートの「て」に似たマークはどこかで見たことある?東京オリンピックの時ウズベキスタンの選手団が着用していたウェアのロゴです。

これは「セーブル」で、数字の7の事。ウズベキスタンを代表するスポーツウェアメーカーのセーブルのロゴです。

恐らくこのバギーが7号車と言う事かな。
タキ・テルパクフルシャン近くのマゴキ・クルパ・カーペット&ラグ ハンディクラフト センターには建物の至る所でカーペットを干していました。






タキ・ザルガロンは宝石商の市場とお伝えしましたが、タキの中ではなく左手にジュエリー・ショップが並んでいました。

ここを左折してカラーン・モスクへ。





まだ朝の9時なので、広場にはツアーのグループが1組だけでした。

このツアーの前に何とか入場できました。






入口でこのブログでも参考にさせてもらっている紹介誌を購入。

日本語版です。新版ですが少し古いかな?
120,000スム、約1,700円位だったように記憶しています。








販売員と記念写真。









カラーン・モスクは12世紀にミナレットと同時に建てられましたが、チンギスハンに破壊され現在のカラーン・モスクは1514年に建てられました。現在もブハラの大聖堂です。

大聖堂としてはチムール時代のサマルカンドの大聖堂と同規模です。内部の建物の数や規模においてはサマルカンドのビビハニム・モスクにはかないませんが、広さはこちらの方が130m×80mとかなり広い。
伝統的な長方形のレイアウトで4辺にそれぞれアイヴァンが有ります。

中庭を囲むように288のドームが有り、それを208の柱が支えています。





柱の造形が美しい。
1万人ぐらいの人が同時に礼拝できます。

左の写真の八面体のスタンドは書見台です。







9時半になったので、急いでホテルに戻りました。

途中ミル・アラブ・メドレセの南にあるアミール・アリムハン・メドレセの横の路地を通ったら、門が開いていました。

ラッキーと思って中に入ろうとしたら、マイクで怒られてしまいました。監視カメラが付いているのですね。

現役の神学校ですから当たり前です。

良く見たら扉に許可された者以外の立ち入り禁止と書かれていました。

タキ・テルパクフルシャンを通ったら、前夜Tシャツを買った店が開いていました。ホテルに戻ったのが9時45分。急いで染みの付いたTシャツを取り出し店まで戻りました。快く交換してくれました。ホテルに9時55分着。何とか出発に間に合いました。
この日のツアーはブハラの北の郊外のスィトライモヒホサ宮殿とギジュドゥヴァンの陶器工房の見学です。

ドライバー・ガイドはジョニさん?ホテルから5分程の所に停めた車までスーツケースを運んでくれました。

前夜夕食を食べたThe Plovの前を通過し、その先を北上。ホテルから20分足らずで宮殿に到着です。
ジョニさんは正式なガイドでないので車で待機。私達だけでチケットを買って中へ。60,000スムx2人、約1,600円強でした。

地下道を抜けると右手に広場が有りその広場の3辺を囲むように宮殿が有りました。

正面がメインビルです。下の写真のように右側は美しく装飾された壁だけのようでした。

ブハラ・ハン国最後のアリム・ハンの夏の宮殿として20世紀初頭に建てられた比較的新しい宮殿です。

ロシアの建築家とロシアで建築学を学んできた建築家の共同で建てられたため、外部はロシア風、内部はロシア風とアジア風のミックスとなっています。


ロイヤルレセプションの為の王座ホールです。

見事なシャンデリアですが、左側の建物を含め幾つかのシャンデリアが使われています。
この照明の為に中央アジアで初めての発電機が設置されたそうです。



正面の白いビルは殆どこの謁見用ホールとして使われています。

広場から向かって左手の建物は幾つかの部屋になっていて、それぞれ特徴的な装飾や調度品が使われています。
ガラスで装飾された暖炉?













部屋ごとに天井の装飾やシャンデリアも異なります。













壁の装飾も当然違っています。

ヒヴァで見て来た19世紀前半の宮殿とはかなり異なります。






一番端の部屋には日本製や中国製の陶磁器も多数展示されていました。

これはほんの一部です。






外に出ると広場の端に孔雀が多数飼われていました。








アップで凛々しい姿を。

近くにアミールの夫人の建物も有ります。









夫人の衣装。













周りは広大な庭園です。ブドウ棚の下を歩いた先に、ハンのハーレムが有ります。

ブドウがたくさん実をつけていました。手を伸ばせば実を採れそうでした。太陽光が遮られ快適な通路です。









こちらがハーレムだった建物です。

この池で娘たちを泳がせて、気に入った娘をお召しになったそうです。







建物の前に建つこの台から、池で戯れる美女たちを眺めていたのかな?

それにしても驚いたのがこの池の大きさと深さです。

出入りできるくらいの高さまで水が有ったとすると相当な深さになります。

とても長時間戯れていることはできそうにありません。

体の丈夫さのテスト?



ハーレムの玄関前で少女がスザニを編んでいました。

家族のお手伝いかな?






ハーレムの中は展示館とお土産ショップです。

こたつとカーペット。いかにも中央アジア風です。











こちらは暖炉?












一時間程でメインビル前の広場に戻ってきました。

この広場を挟んでメインビルを望むように建てられているのが、ここの建築を指導したシリン・ムラドフの銅像です。









次にこの日のメインであるギジュドゥヴァンの陶器工房の見学に向かいました。

ブハラの町から走って来たM37(北に向かう主要道路)に戻り北に向かいました。

約50㎞、40分ほどでキジュドヴァンの町に到着。
工房は東に向かう道路の北側にあるので途中でUターンして建物に向かいます。

この工房はGoogle Mapで"Museum Gijduvan ceramics"で場所を確認できます。
写真も一杯掲載されているのでそちらも参考にしてみてください。
出迎えてくれたのはこの工房の主の娘さん。堪能な英語で工房内を案内してくれました。もっと観光客が来てると思っていましたが、この時間は私達だけでした。
先ず展示室へ。

ウズベキスタン内の各都市の特徴が分かる陶磁器が展示されていました。例えばブハラ風とかサマルカンド風の物が比較できます。





今の主の先代の陶芸家か有名だったようで、各国要人と一緒に写っている写真なども有りました。

ヒラリー・クリントンの写真と、署名入りの感謝状も飾られていました。









次に彼女自らスザニの刺繍の実演を見せてくれました。

これは前日ブハラの工房で見ていたので新しい知識にはなりませんでしたが。





その隣に彼女の母親が座って何か作業をしていました。

何とハンドライティングでデザイン画を描いているとのことでした。





次に陶器の工房へ。

彼女の父親と2人のお弟子さんたちが、絵付けや成形などそれぞれ異なる作業をしていました。





その隣の部屋に石を砕いて粉を作る石臼が有りました。陶器は粘土が50%前後で後は珪石と長石。磁器は粘土の割合が30%前後で長石や珪石の割合が高くなっています。

ガイドブックによるとこれを回すのはロバなのですが、この日はお休み? 

上の棒にロバをつないで、この石臼の周りを歩かせるそうです。
その隣の部屋には窯が有りました。意外と小振りの窯でした。








次に入ったのが絨毯工房。

2人の女性が織っていました。

奥が絨毯の展示即売室。





最後にスザニと陶器の展示販売室。

中央アジアっぽい陶器の小物入れをナッツ用に購入しました。写真の下の方に写っている中から選びました。

ガイドしてくれた娘さんと記念写真。







最後に半地下にある食堂に。

テーブルが8卓程並んでいました。団体が来ても大丈夫そうでした。

事前予約で1人US$10 のランチ。

場所が場所だけに期待していなかったのですが、意外とおいしかった。

写真のナッツなどのスナック、スープ、トマトと茄子の煮物、コーンライス。このコーンライスが美味しかった。
メインはシャシリク。ナンも出てきました。













そしてザクロやリンゴなどのフルーツでした。








US$20でドライバーも一緒に食べても余るくらいの量が有りました。

食後トイレを済ませ出発。列車の時間までまだたっぷりあります。食事中ドライバーがもう1~2か所回りましょうと提案してくれたのでその案に乗っかりました。
外に出ると道路の反対側に実を付けた樹が。

良く見ると少し丸っぽいですが日本の花梨にそっくり。
ドライバーに尋ねたら、どうも同じ種類らしい。
やはり食用ではなく時々喉薬にしたりするとのこと。


先ず向かったのはこの町の中心にある「ホジャ・アブドゥルハリク・ギジュドゥワニー廟」です。

写真は公園の入口です。




一番左の旗が立っている建物がこの町で生まれたイスラム教の哲学者ギジュドゥワニーのお墓。今では記念館になっています。
その他はモスクです。

彼の名前がこの町の名前になりました。
丁度この記念館で結婚式を挙げてました。


記念館の前にアーチの門を持った建物がウルグベクが建てさせた3つ目のメドレセと思われますが定かではありません。

この町に有るはずですが、これ以外それらしいメドレセは見つかりませんでした。




記念館の隣にあるミナレットです。

このミナレットもブハラのカラーン・ミナレットと同様に青の帯がアクセントになっています。
その右の方にモスクがかぎ型に並んでいます。

この時間、右の建物で礼拝が行われていました。





公園のようになっている広場にあるハウズ越しにモスク全体を眺めてみました。

このモスクから始まり計7つのモスクを巡ると言うのがスーフィズム教徒の巡礼のようになっているそうです。

この巡礼を一度行うとメッカに一度行ったと同じ事になるそうです。ドライバーのジョニさんも完了したそうです。
午後2時前に出発。町を出てブハラ方面に戻ります。
途中、Rabatakと言う町で東に向かいました。

まもなく右側に幾つかのホテルが建つ所に車を停め、道路の反対側に渡った所にあるのが世界遺産歴史的建造物のひとつ、サヒ・ナクシュバンド・バハディン・ブハリです。


ここの地図です。結構広い。

世界遺産マークです。

ナクシュバンディーはスーフィーズムの歴史に大きな影響を与えた人ですが、スーフィーに関して少し説明しておきます。

スーフィーはイスラム教のひとつの思想で、神秘主義思想家達が虚飾を排した印として羊毛(スーフ)を着用したのでスーフィーと呼ばれるようになりました。

彼はそのスーフィーに大きな影響を与え13世紀にブハラ・ナクシュバンディー教団を設立しました。


この教団は17世紀に中国の新疆の回族に影響を与え、回民蜂起を起こすなどして清朝末期の歴史に大きな影響を与えたそうです。

写真はお墓のある中庭。





こちらが手前の建物越しにナクシュバンディーのお墓を見た写真です。

お墓を囲むアイヴァンの天井の装飾が美しい。













こちらはチラソナと呼ばれる部屋で、ナクシュバンディーの教えで秘密の修行を行う部屋だそうです。

モスクとミナレットです。

ミナレットが意外と低い。





ミナレットのズームです。












ナクシュバンディー以外にも多くのイスラム教徒たちが眠っています。








ハウズ越しの景観。









ブハラの7つの巡礼路の地図です。私達は1番と7番に来たことになります。
BUXOROはブハラの事です。
上の写真の場所から左の方に行った先に、ナクシュバンディーの祖母のお墓が有るのですが、結構歩き疲れていたのでパス。

駅に向かう途中で巡礼図6番のxoja Sayyid Amir Kulaiの前を通過しました。青いドームが印象的でした。

そこを過ぎると直ぐブハラの駅のあるカガンと言う町です。

ブハラの旧市街からは東南東に10km位のところにあります。空港の方が町に近い。

中央のVOKZALと書かれているのはウズベキ語で「駅」の事。BUXOROは「ブハラ」です。

この続きはサマルカンド編でお伝えします。





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