2025年11月13日木曜日

ウズベキスタンの旅 その3 ブハラ観光 前編1

 

ラビ・ハウズ越しのナディール・ティヴァンベギ・ハナカ

ウズベキスタン3日目はヒヴァからブハラの移動です。

列車のチケットが取れなかったため、この移動は車を利用しました。

約450㎞、7時間の予定でした。

わたし達は2人でしたがマイクロバスが迎えに来ました。

理由はこの車、翌日ブハラからサマルカンドへの団体客を乗せるので、空車でブハラへ行くよりは私達を乗せた方が効率よいから? 何もなければそれでも良かったのですが・・・

ヒヴァの南門を出た所での写真です。

イチャンカラを出て3㎞程の所です。


昨日の曇り空が嘘のような青空。

空港方面、つまりヒヴァから先ず東のウルゲンチ方向へ向かっているようです。



このウルゲンチの東側にも紀元前からの古代ホレズム王国の都城(カラ)遺跡がたくさん有りますが、今回は日程的に無理でした。

ウルゲンチはヌクスより大きな町でした。

ウルゲンチからブハラ方面に向かう列車の線路の上を通過。

このウルゲンチを過ぎると直ぐにアム・ダリヤ川を渡り返します。前日の橋よりかなり南の橋でした。

その先でA380号線に戻り、ブハラへ向かいます。


アム・ダリヤ川を渡って30分ほどの小さな町の屋台の前でドライバーが急に車を停めました。

スイカ、メロンやカボチャが山のように積み上げられていました。なんとここでメロンを買ってました。

ハミメロン(哈密瓜-中国新疆ウイグル自治区の哈密市の名前の付いたメロン。クアラルンプールでもスーパーで売っています。)に似た形と色合いでしたが、後で分かったのですが、この実はハミメロンの様な黄色でなく白でした。



助手席の足元で転がるメロン。

(ハミメロンは緑の線がもっと太い。)





どこまで行っても道の両側は砂漠です。






80㎞の時速制限が有るようですが、殆どは100㎞以上で走っていました。

Raderの看板がある時は減速していました。

所々に小さな町やお店が2~3軒並んだサービスエリアのようなところも有ります。



そのようなサービスエリアの手前には検問所の様なゲートが有りますが、一つの目的はドライバーを休憩させることの様でした。

これだけ砂漠の中の変化の乏しい真っ直ぐな道を走っていると居眠り運転の事故も相当数あるように感じました。

実際、写真のように、道に黒いタイヤ痕が右の路肩に向かっているの何回も見ました。

ヒヴァを出発して3時間ほどたった頃ヌクスと言う町の外れにあるドライブインの様なレストランへ。

このヌクスは綴りは同じですが、前日飛行機が着いたヌクスとは違います。



ここでランチとトイレ休憩。ドライバーは勝手に自分の食べ物をオーダー。私達がカウンターでオーダーして席に着いた頃には既に食べ始めていました。

私達はシャシリク(肉の串焼き)、トマトサラダ、チュチュワラ(水餃子の様な物、ヨーグルトをつけて食べる)を食べました。

左の写真はチュチュワラです。

こちらはシャシリクです。

ドライバーはショールヴァ(羊肉とジャガイモ、トマト、ニンジンなどが入ったスープ)とナンを食べてました。ナンは食べきれないので私達におすそ分けしてくれました。

レシートが無いので値段は忘れましたが、3人分のランチで100kスク、約1400円位だったかな?

トイレは建物の外。水は出ません。持参したウェットペーパータオルは必需でした。


レストランの向こうにはアム・ダリヤからの運河が流れていました。

これだけの水が有るのに周りは砂漠です。

14時ごろ出発。出発してから、メモを書いていた消せるボールペンをレストランに置き忘れたことに気づきましたが時すでに遅し。気にいってたのに、残念!


砂漠の中ですが、列車の線路が並走してたり、右手奥にはアム・ダリヤ川やダムの様な湖が時々見えたりして結構楽しいドライブでした。



ブハラ迄あと100㎞と言う所で、コーヒーを飲もうと言う事で道沿いにあるショップで停まりました。

ところがこの店にコーヒーは無く、隣の店にあると言う事で移動しようとしたらエンジンがかからない。

暫くドライバーがチェックしましたが、結局かからないので近くにいた人たちに頼んで押し掛けして移動。心配なのでコーヒーは諦めてそのままブハラに向かいました。

しかし数㎞走ったころでノッキング。幸い道端にあったレストランの駐車場に入れて停車。

私と妻はレストラン内でチャイを飲みながら待つことに。

ドライバーが修理を試みましたが結局諦め、代車をブハラから呼ぶことになりました。

どうも1年ほど前に変えたバッテリーがダメになったとかで、その代車のドライバーにバッテリーも持て来てもらいました。ドライバーは中国製のバッテリーの品質に文句タラタラでした。

でも待っている間、レストランの人たちや隣の店の人たちもとても親切で何かにつけて私たちを気遣ってくれました。残念ながらここのトイレも水は出ませんでした。

1時間半ほど待ってやっと代車が到着。今度は新しいシボレーのセダン。

快適なドライブで沈み始めた夕陽をバックに一路ブハラへ。

街に到着したのは既に19時15分を過ぎていました。予定より2時間15分遅れでした。

ブハラはヒヴァに比べると大きな町でした。

ホテルのある旧市街のセンター近くは、観光客用なのか車の通行は制限が有りました。

ホテル近くまで行き、ドライバーが私たちのスーツケース2個を持って100m程離れたホテルへ。

上の写真がホテルの正面です。この夜から2泊するFatima Boutique Hotelです。2泊でUS$158でした。

ラビ・ハウズの南側の観光客の多い通りに面しています。ラビ・ハウズのハウズは池の事です。この回の巻頭の写真がそのラビ・ハウズです。

ホテルではスタッフが笑顔で迎えてくれました。写真はウェルカムのナッツとチャイ。

部屋は2階で、窓からラビ・ハウズが見えます。





バスタブが有りました。ここはお湯を溜めることはできましたが、時間がかかりました。






お腹が空いたので取り敢えず荷物を部屋に置いて直ぐに夕食に向かいました。その前に保湿剤を売っているような薬局を捜しました。幸運なことにホテルから2~3軒離れたところにファーマシーを見つけ、無事保湿クリームをゲットしました。これで安心して夕食に迎えます。

ヒヴァで食べ損ねたウズベキスタン風チャーハンのプロフを食べたくて、ホテル前の通りを運河沿いに右へ向かいました。







Google Mapで見るとこちら側に多くのレストランが有ったのですが、この時間帯ではプロフを出しているお店は有りませんでした。

写真のレストランもメニュにプロフは有ったのですが、夜は提供しないとのこと。

後で知ったのですが、こちらではプロフはランチに食べるものだそうです。




ホテルにいったん戻り、スタッフにローカル料理を食べられるレストランを教えてもらいました。

ホラビ・ハウズの先にオールド・ブハラと言うレストランが有ります。そこで空席を尋ねたところ3日先まで埋まっているとのこと。

諦めて池のほとりのラビハウズ レストランでやっと席を見つけることが出来ました。

殆どが団体客。みんなワインやビールを飲みながら盛り上がっていました。





私達はホテルの方が勧めてくれたオロッ・サムサをオーダーしたのですが、スタッフが間違えたのか普通のサムサが1枚出て来てがっかりでした。

写真のメニューの一番上の料理です。

でも後から考えたら、写真の様な形で出てくると勘違いした私のオーダーミスのようでした。これだけいっぱいあって0.95$はありえない。良く見ると1枚の値段でした。本当は2人で複数個オーダーするべきだったようです。


このほか茄子のサラダ、牛肉の野菜炒め、昼食べておいしかったチュチュワラを食べました。これにビールとティー。

写真は茄子のサラダとビールにお茶。




こちらは牛肉の野菜炒め。








こちらはチュチュワラとサムサ。普通のサムサと思っていましたが、焼け目の具合からみても、これがオロッ・サムサだったようです。

さすが都会の有名レストラン。これだけで約300kスム、約4,200円でした。牛肉は少し硬かったけど、美味しくいただきました。



食後入り口近くのテーブルが開いていたので記念写真。





食後はライトアップされた町並みを楽しみながらホテルへ。





私はホテル前で妻と別れ、明日の夕食用のレストランを捜しにもう少し歩いてみました。

おもしろそうなレストランが何軒かありました。

こちらはTandirレストラン。翌日の夕食の候補です。

その他にも何軒か候補が有りました。

帰路リカーショップが有ったので、部屋飲み用にローカルの缶ビールと路肩で売っていたスイート ポップコーンを買って帰りました。

サルバストはマレーシアで良く飲むデンマークに本社を置くカルスバーグとの技術提携で製造されているそうです。これ以降も色んな種類のサルバストを飲みました。

通りで違和感ない筈でした。

部屋に戻りお風呂。上がった後、保湿クリームを塗って、ビール。うまい!


翌日の観光は9時からなので、朝食前に散歩がてらホテルの近くを歩いてみました。

ブハラは「僧院」という意味だそうで、砂漠の中のオアシス都市です。一時は中央アジアのみならずイスラム世界の文化の中心でしたが13世紀にチンギスハン(ジンギスカン)によって一度は廃墟にされたそうです。

地球の歩き方からの引用ですが、「普通の世界では光は天から差し地を照らすが、ブハラでは光が地から差し天を照らす」と言われるほどでした。サマルカンドが「京都」ならブハラは「奈良」だそうです。

ホテルの前の通りを渡って左側に大きなメドレセがあります。これはナディール・ディヴァンベギ・メドレセです。建物の説明は後ほど。




このメドレセから坂を上り、道路を渡った所にあるのがクカリダシュ・メドレセです。前夜はこの辺りで車を降りました。

上のメドレセとよく似ていますが、アーチの装飾が違います。



ラビ・ハウズの北側をグルっと回り、池の西側にいくとナディール・ティヴァンベギ・ハナカがあります。

ハナカは滞在と思索の為の場所です。

メドレセのようにフジュラがありません。



ラビ・ハウズの東側に座っていたおじさん!








写真の右奥が前夜夕食を食べたレストランの一部です。

ここから池の反対側にあるナディール・ティヴァンベギ・ハナカを写した写真が巻頭の写真です。



ホテルに向かう通りの南側に伸びた路地にも洒落たレストランが幾つかありました。

ホテルに帰ってきました。朝食はビュッフェ・スタイルでした。今回の宿泊は全て朝食付きです。







主食類、野菜、フルーツ、チーズ、ハム、ナッツ類が並んでいました。どれも美味しかったのですが特に種なし葡萄が有ったのには感激。この旅行中、沢山の葡萄を食べましたが、種無しはここだけでした。






残念ながらヒヴァと同様コーヒーはインスタントでした。なので部屋に戻って、ガイドさんが来る迄持参したドリップ・コーヒーを飲みながらまったり。

部屋のカーテンを開けると前はラビ・ハウズ横の公園です。



外から観ると小さなホテルと感じていましたが、ロビーを通り抜けると中庭が有り、メドレセのように中庭を囲んで宿泊棟が有りました。




中庭にはゆったり時間を過ごせる縁台の様な台座が置いてありました。

良く見かけるのですが、何という台なのか分かりませんでした。





この後はガイド付きの半日観光です。こちらは次の回でお伝えします。





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