![]() |
| 今回の旅程(青:飛行機 緑:自動車 黄色:列車) |
旅行中のメモを失くしたり、旅の途中で負傷したりで1ヶ月ほどレポートが遅れてしまいました。
昨年放送のテレビ朝日の「旅サラダ」で紹介されたり、TBSの「世界遺産」の中の某カメラメーカーのCMで紹介されている、青の都サマルカンドへ行くことを考えてはいたのですが、最近バティック航空の直通便がクアラルンプールからタウズベキスタンの首都タシケントに飛んでいることを知り、急遽計画を立てウズベキスタンに行って来ました。
計画に当たってネットで「ウズベキスタン 現地旅行社」で引いたところ、日本人の女性が経営しているSRP Travelを見つけました。ウズベキスタン旅行会社 | SRP TRAVEL
メールのやり取りで「ウズベキスタン旅行ゆったり4都市周遊ツアー8日間」をベースにブハラとサマルカンドでの自由時間にオプショナル・ツアーを加える旅程を組んで頂きました。4都市はタシケント、サマルカンド、ブハラ、ヒヴァです。
選択肢の中から①ホテルはこちらで予約。②4都市でそれぞれ日本語ガイドを付ける事を選びお願いしました。
計画が遅かったので①思ったホテルが取れなかった。②SPR社が予定していたヒヴァを訪れるためのフライトが取れなかった。③乗ってみたかった特急列車が既に満席だった、等の失敗も有りました。
それでも私の中では90%以上の満足感でした。
私達の目的はこの国にある5つの世界遺産の内4つを訪れることでした。
1.ヒヴァ ー 博物館都市イチャンカラ
2.ブハラ ー 2500年以上の歴史を持つオアシスの都
3.サマルカンド ー 青の都、ティムール帝国の首都
4.シャフリサーブス ー ティムール生誕の地、巨大宮殿遺跡
ブハラ、サマルカンドそしてヒヴァ近くのウルゲンチは13世紀チンギスカンによって壊滅的に破壊されました。私の愛読書、集英社発行で北方健三による「チンギス紀」にも登場します。征服する側からの小説は読んだのですが、される側から見るとどうだったのかも興味のひとつでした。
前置きはさておきこの回では最初の訪問地ヒヴァのイチャンカラに関してお伝えします。
今回利用したフライトはバティック・エアーのクアラルンプールからタシケントの直行便です。週2便、火曜日と金曜日です。所要時間は約7時間50分、帰りは8時間30分です。マレーシアとウズベキスタンの時差は3時間、日本とは4時間になります。バティック・エアーは座席間隔が広くエコノミー席でも快適でした。
火曜日の夕方出て到着は午後10時ごろでした。タシケントの国際空港は新しく清潔でした。
写真左手が入国検査カウンターです。
首都の空港らしく、奥の壁に書かれたUZBEKISTANの文字が出迎えてくれてました。
写真のように1円が70スム。2万円は1,400,000スム(今後は0を3つ取りKをつけて表示します。1,400Kスム)。
円の両替レートは悪くUS$1=12,040スムなのでUS$1=Jy172になります。
1ドルが150円位とすると15%近くも悪いレートです。
なのでこの後はWISEカードでUS$からの引き落としにしたのですが、今回は日本円からのレートで概算します。以下1,000スムは約14.3で計算。(金額から0を2つ取り1.4倍強にすると円となります。)
同じホールの殆どは通信会社のブースで占められSIMを打っています。全部見て回った結果Ucellと言う会社を選びました。一番安いパックで60,000スム。約840円です。これでデータ1Gのデータ通信及び国内通話はかけ放題です。
安いので妻にも1枚買いました。
勿論口座が無いので現金精算になりますが、安くて明瞭会計なので非常に役に立ちました。データ通信はこの旅行期間中、Google Mapを多用したのですが、ネット等はWIFIと併用することで不足になることなく出発時まで持ちました。
空港からは迎えの車でホテルへ。翌朝5時半に迎えが来るので、ホテルは寝るだけ。空港近くの1泊US$50でCity Line Boutiqueというホテルを取りました。ホテルまで10分。チェックインは11時を過ぎていました。朝食付きなのですが、5時半出発ではまだレストランは空かないので、簡単な食事を箱詰めしてもらうことに。
部屋は寝るだけには全く問題になりませんでした。この国ではトイレの紙が流れないので、使用したトイレット・ペーパーはごみ箱に入れることとなっていたのを忘れていて、ちょっと失敗しましたが何とか流れました。
因みに後のホテルは試しに流してみたのですが、殆ど問題ありませんでした。かなり改良されてきているのでしょうか。
翌朝、箱詰めの朝食を受け取り、予定通り5時半に迎えに来た車で国内便のターミナルへ。国際便のターミナルと滑走路を挟んで反対側にあるので、倍以上時間がかかりました。
SRPさんのツアーパッケージにツアーだけでなくホテルへの送迎も含まれていたので、移動には全く問題ありませんでした。自由行動中の移動はYandexGoでこれも全く問題なし。
空港は多くの観光客で一杯でした。殆どの観光客はヒヴァへの最寄り空港ウルゲンチへ向かう便に乗ります。
私達はSRPさんが頑張ってくれたのですがウルゲンチ行きは良い時間が取れないので、それより北にあるヌクスへ飛ぶことになっていました。
丁度団体客が移動したのでテーブルを確保し、コーヒーを買って箱詰め朝食を頂きました。中には非常に重いサンドイッチとリンゴが入っていました。今回の旅行中最も貧しい朝食でした。致し方ないですが。
ヌクスまで飛び、そこから車で3時間かけてヒヴァへ行く予定です。ウルゲンチ―ヒヴァ間の移動を考えても2時間以上のロスになりました。
着陸態勢に入ると雲が切れ、眼科は一面の砂漠でした。キジルクム砂漠です。
突然町が現れました。ヌクスです。定刻着でした。
荷物を受け取りターミナルの外へ。
午前9時を過ぎているのですが、結構涼しい。
旅行前にチェックしたところ30℃の日が続いていたので、夏用の衣服どころかハンディーの扇風機や粉末のスポーツドリンク迄持って来ていたのですが、全く必要ありませんでした。
シボレーの工場が有るとかでかなりのシェアーを占めてるようです。
写真は第一スポーツ学校です。
両側には延々と続く砂漠が。
40分弱ほど走った辺りの右側に、まるでモニュメントバレーを彷彿させる岩山が。
後で調べたら、チリピック・カラと呼ばれる昔の城跡だそうです。一説のよると古代ホルムズの史跡でゾロアスター教の「沈黙の塔」と呼ばれているそうです。
更に20分程行った所で車はA380号線を右折し売店の前で停車。ドライバーさんが水を買ってきてくれました。10分ほど行くと砂漠の中にこんな大きな川が有るのかと思うほどの川を渡りました。
アム・ダリア河です。水源はカザフスタンとウズベキスタンにまたがる大きな湖アラル海です。
この川を境に砂漠が一転して農耕地が広がり始めました。最初に目に留まったのは、白い花の様な物が畑一杯に広がる風景でした。
ここは何と綿花畑でした。白いのは実がはじけた綿でした。薄い黄色の花や、緑の実をつけた物も有りました。
ドライバーが綿を摘んでくれました。私は中国勤務時に何度か見ているので知っていましたが、妻は初めてで「本当に綿だ!」と興奮していました。
この国は世界第8位の綿の産出国だそうです。でも最近はその生産も減少方向にあるそうです。加えて綿を摘む労働力も減り、今では家庭の主婦のお小遣い稼ぎにしかならないとか。
1㎏摘んで30円弱。良く摘む人で1日20㎏が限度らしい。普通はその半分として1日300円位にしかならないそうです。そんな苦労は露知らず、にっこり笑って記念写真。
左右に綿花畑や、刈り取りの終わった小麦畑が広がる道をヒヴァに向かいました。
街に入るとやがて大きな城壁が見えてきました。イチャンカラです。車はグルっと回り南門から入りました。(場内に車が入れるのは南門と北門のみ)
この辺りの一般の家庭を宿にした感満載で、モルタルの壁に木製のドア。中はカーペット敷で靴を脱いで下駄箱へ。
小さなカウンターではこの家の奥さんと思われる方が出迎えてくれました。息子らしき少年が2階へ私達のスーツケースを上げてくれました。予約では1拍US$54でした。
写真は2階のリヴィング・ダイニング?です。
写真にはありませんが、手前の方にこれからも時々見かける座敷セットの様な台座が有ります。
ここで座ったり、寝転んだりしてまったりと時間を過ごせそうでした。
日本人の女性、ミカコさんでした。後で分かったのですが、彼女は何とウズベキスタンでただ一人の日本人の公認ガイドでした。外国人はガイド資格をもらえないのですが、彼女は観光省の招待でウズベキスタンに来て、資格試験を合格。そしてこちらの方と結婚していることなどから公認されたそうです。
ヒヴァから1時間ほど行ったトルクメニスタンとの国境近くの村で民泊もやっているそうです。日本人のウズベキスタン旅行者には結構有名な方らしい。
こんなに寒いとは聞いてなかった!荷物から厚手の衣類を取り出して着用して出発。
この後の屋外博物館都市と呼ばれるイチャンカラの観光は次回お伝えします。


























0 件のコメント:
コメントを投稿