2018年4月11日水曜日

三度目のマラッカ

マラッカのオランダ広場
Tさんご夫妻が日本に帰られた翌々日に今度は親戚がマレーシアにやって来ました。おばあちゃん(私の従兄の奥さん)とその孫娘(大学生2人)の3人です。初日はKL市内観光、2日目にマラッカ観光、その翌日からシンガポールに2泊3日で行ったので、今回はまずマラッカ観光、そして次にシンガポール旅行をご紹介します。

私達はマラッカ観光は三度目です。私達夫婦の住んでいるコンドミニアムから高速道路で南に下り約2時間位の距離です。
朝7時に出発。1時間半ぐらいのところにあったサービスエリア(R&R)で朝食。
写真右手の方にお店が並んでいます。殆どがマレーシア料理かインド料理です。

面白いのが写真中央の人ですが、店の人かと思ったらお客が食べ残したものを肩から下げたバックに詰め込んでいました。
何にも無駄にならないシステム(?)ですね。





こちらが私が選んだマレー人の朝食の定番ナシ・レマです。
妻と従兄の奥さんはカヤトーストとテタレ。南国の果物を沢山食べることを旅の目的の一つとしていた若い二人はデザートにマレーアップルを買って食べていました。

このサービスエリアから30分程で高速を降りて、マッラカの中心部に向かいます。














朝早かったのでスタダイス横の駐車場は空いていて、大きな木の下の日陰になる場所に停められました。
写真の左手から坂を下るところまでが駐車場になっています。残念ながら駐車料金は記録し忘れてしまいましたが、それほど高くなかったと思います。
このスタダイスはオランダ総督などが住むために建てられ、今では歴史・民族博物館になっています。入場料は外国人で10リンギット(270円)です。私達は入りませんでした。

ここから坂を上って行くと頂上に崩れはてたセントポール教会の建物が有ります。
この登りの途中からマラッカの街並みの向こうにマラッカ海峡が見えてきます。

教会の手前にあるのがフランシスコ・ザビエルの像です。遠くにマラッカ海峡を望みます。






こちらがセント・ポール教会跡です。1521年にポルトガル人によって建てられたそうです。

ザビエルの遺体はここに9ヵ月間安置された後、インドのゴアに移されたそうです。
尚オランダ広場から歩いて3分程の所にセント・フランシス・ザビエル教会が有りますが今回はパスしました。












これがセント・ポール・教会の内側です。今残っているのは壁と石碑だけです。











ここから南に坂道を下ったところにサンチャゴ砦が有ります。オランダとの戦いに備えるためにポルトガル軍が建てたものです。










この砦に向かって右にマラッカ・スルタン・パレスがあります。史記に基づいて復元されたマレー風の木造建築でマラッカ文化博物館になっています。ところでマラッカの人は博物館が大好き(?)数多くの博物館が市内に点在しています。

初代スルタンのハン・タウ(Hang Tauh)が国を統一した過程を絵画によって紹介しています。




内部を見学してから、有名なジョンカー・ストリートに行くためにオランダ広場方面に向かいました。
近くにトライショー(3輪車を改造してお客を2人載せられるようにしたもの)のたまり場が有って客引きをしていたので、従兄の奥さんに体験してもらいました。隣に妻が乗ったのですが、日本の曲をかけてくれたりして結構面白かったそうです。オランダ広場まで15リンギット(405円)でした。マラッカのトライショーは派手で有名です。これはドラえもんですが、多くは日本のキャラクターをパクっています。

オランダ広場から川を渡って、マラッカ一の繁華街ジョンカー通り(正式名はHang Jebat通り)へ。
写真中央の提灯の下がっている所が通りの入り口です。
入り口近くに在るチキンライスで有名な和気鶏飯店でランチと言う案も有ったのですが、まだランチには少し早い時間だったのでパス。
ウィンドウショッピングを楽しみました。




こちらは前回定休日だったスイーツのお店ジョンカー88。これだけ混んでいると言うことはやはり美味しいのかな?
ここも今回はパス。









ジョンカー通りの西側を走っているヒーレン通り(正式名はTun Tan Cheng Lock通り)にあるプラナガン建築の店でニョニャ料理を食べようと思い、前回訪れたレストラン・プラナガンへ行ったのですが閉まっていました。定休日は旧正月のみのはずなのに。つぶれたかな?

思案に暮れていたら近くにババ・ニョニャ・ヘリテージと言う博物館が有ったので見学することに。
ババ・ニョニャと言うのは数百年前に中国から渡って来た男性と現地のマレー系女性が結婚してできた子孫のことで、男性をババ、女性をニョニャと呼びます。これらの人々を総称してプラナガンと呼んでいます。
この博物館は個人の物で一般公開されています。時間によってガイド付きツアー(英語と中国語)が行われていますが、私達は遅れてしまったので、貸し出しの日本語の解説書を片手に自分たちだけで見て回りました。
中は写真撮影禁止なので、終わった後に玄関ホールで記念写真を。写っている室内の装飾を見ただけでも、プラナガンの裕福さが分かりますね。尚入場料は1人20リンギット(540円)でした。



お腹も空いたのでこれも前回来た時に見つけていたニョニャ料理のナンシーズ・キッチンと言うお店に行ったのですが、ここも店の名前が変わっていました。何件かのレストランが並んでいたのでそのうちの1軒に入ってみました。因みにニョニャ料理とは先ほど説明したニョニャが代々引き継いだマレー料理と中華料理をミックスした料理です。

これがその料理ですが、これらの料理と各人が頼んだフレッシュジュースで84リンギット(2,268円)でした。味はまずまずかな?何をもってニョニャ料理とするのかは難しいですね。

お腹も膨らんだので一旦オランダ広場へ。ここで記念写真を。











いつの間にかこんなものもできていました。このところ「I LOVE KL」そして「I LOVE Penang」を見たばかり。因みにKLとPenangのLOVEはハートでしたがここはLOVEと英語ですね。










この後駐車場に戻りこの日の最後の目的地の「海峡モスク」に向かいました。正式名称は「Melaka Streit Mosque」です。
町の中心部から東南方向にあるマッラカ島(Pulau Melaka)の南岸に建っているこのモスクは珍しい海上モスクです。
以前来た時には礼拝の人々も観光客もいなくて、波の音しか聞こえないような静かな時間を過ごしたことが思い出されました。




このモスクに入るには女性は写真の様なローブを身につけなくてはなりません。他のモスクでは単色のローブですが、ここは女性にはうれしい柄物です。
中に入るとボランティアの方がイスラム教について話してくれました。日本人は満たされているかもしれないが、本当に満たされるためには最後の5%を神を信じることだそうです。





海をバックに。海峡モスクと言う名前を実感できますね。


この後帰路に就きました。

今回のマラッカの印象は、とにかく暑かったことかな?特にジョンカー通りやヒーレン通りは暑いのに慣れている私でさえ、もう歩くのはいや!と思ったほどでした。日本から来た彼女たちはさぞかしだったことでしょう。






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