ようやく雨期の終わりかけた10月末にカンボジア第2の都市、シェムリアップ(Siem Reap)にFさんご夫妻と私達夫婦の4人で行って来ました。旅行の目的は、当然アンコールワットと周辺の遺跡群の見学です。
早朝6時50分発のエアアジア機でクアラルンプール第2空港(KLIA2)を出発。約2時間でシェムリアップに近づき、下を見下ろすと浮草が果てしなく浮かんでいる湖の上でした。
湖を横切ると水浸しの水田らしき風景が見えてきました。まだ雨期なので使用できる水田はかなり陸地の方に入らないとありません。この湖、トンレ・サップ湖は雨期は乾季の面積の3倍にも広がり、農民は乾季になると水の引いた田んぼから順に植え付けをしていきます。この地方の気候からすれば、二期作が十分可能なのですが、年の半分田んぼが姿を消すため、年一回しか米を作れないそうです。
湖と陸地の境はどこかと探していると、もう空港でした。1時間の時差があるため、現地時間の午前8時に着陸です。
カンボジアは短期の観光でもビザが必要です。空港で取得が可能ですが、ガイドブックによれば機内でビザの申請用紙が渡されるとのことでしたが、この便で頂けたのは税関申告書のみでした。
タラップを降りて空港の建物に行くと入り口の手前にテーブルが置かれ、係官がヘルスチェックの用紙と、出入国カードを手渡してくれました。横手にある記入台で用紙を記入後、建物内へ。
ここでもまた記入台があり、その横にある用紙入れから、ビザ申請用紙を抜き取り、必要事項を記入台で記入し、持参した日本のパスポート用サイズの写真を1枚添付し、受付カウンターに提出しました。そのほかにパスポートと手数料の30ドルを同時に提出しました。支払いはアメリカドル。シェムリアップでは全ての支払いがアメリカドルでした。現地通貨は1ドル以下の買い物で使うか、少額のおつりで受け取ることしかありませんでした。
受付カウンターの横に窓口が幾つかあり、一番右にパスポート引き渡しカウンターがあります。ここで待っていると名前が呼ばれ、ビザのステッカーを貼ったパスポートが返却されました。
右手奥に進むと入国管理。ここ以降は他の国と同じ。バッグを受け取り税関を通ります。他と違うのは税関を抜けると、ロビーがあるわけではなく直に建物の出口だったことです。
私は先に出て予約しておいた旅行社の日本語ガイドの人を見つけ、無事到着を知らせました。ところが後から来る筈の、Fさんご夫妻がなかなか出てこない。後でわかったのですが、ビザの発行手続きで面白い経験をしたとのこと。ビザの申請用紙の記入を手伝ってもらったら、なんとチップを要求されたらしい。因みにマレーシアリンギットで支払ったそうです。
今回お世話になるガイドさんはクロマーツアーズのソカーさんです。知的な感じの方で3日間色々なことを教えていただきました。
7人乗りのバンを一日8時間(昼食時は除く)借りて運転手と日本語ガイドが付いて、基本料金90ドルです。そのほか、郊外へ遠出をしたり、空港への送迎が有ったりすると、追加料金がかかります。また遺跡群への入場料は含まれていません。90ドルと言うことは一日ひとり約2500円位ですから、パックを使うよりずいぶん安く上がりました。
まず、午前中に行った方が良いアンコールトムへ向かいました。これは東向きの写真ポイントが多いので、逆光にならないようにするためです。同様に西向きの写真ポイントが多いアンコールワットは午後に行く方が良いそうです。
途中チケットセンターで3日券を購入。その場で写真を撮られその写真の入った入場カードを渡されました。3日券(1週間で3日入れる券です。)で40ドルでした。1日券は20ドルです。この券があれば、シェムリアップ付近のほとんどの遺跡に入れます。今回の滞在中、別途遺跡への入場を支払ったのは郊外のベン・メリアだけでした。
いよいよ最初の遺跡、アンコールトムの代表的遺跡のバイヨンです。街の北部に位置するアンコールトムに南大門から入っていきます。門の手前の堀を渡る橋には、右手に54体の阿修羅像、左手には同じく54体の神々の像が、欄干になっている大蛇を引っ張っています。これは後でアンコールワットの壁画で見たヒンズー教の神話の乳海攪乱を表したものらしいです。
二枚の南大門前の橋を写した写真は、朝アンコールトムに向かう時ではなく、観光客の少なくなった12時ごろ、昼食に向かう途中に写したものです。
ところでアンコールトムとは大きな街(別の書籍では大きな都城)と言う意味だそうです。周囲を高さ8メートルの壁で囲われた3km平方の大きな街です。堀の幅は約110m。中に入るには5つの門のどれからかしか入れません。(南大門、西大門、北大門、そして東に2つの門ー勝利の門と死者の門です。)
南大門は顔の長さが3mもある四面像が彫られていて、両側を3頭の象に支えられています。元々は金箔をはられていたらしいのですが、今は崩れた岩肌がむきだしになっています。
その上ではサルたちがここは我が家と言った風に群れていました。
この城壁から真っ直ぐに延びた道を1.5kmほど走ると、バイヨンに到着です。
これが今回初めて見た遺跡ですが、その美しさに感動させられました。今回3日間かけてかなりの数の遺跡を見たのですが、その美しさは群を抜いていました。ガイドのソカーさんに導かれ今回最初の写真スポット。南から望み、その姿を水面に写すバイヨンを何枚もカメラに収めました。
(それでも物足りず、翌日の遺跡巡りの帰りに近くをと通ったので、車を停めてもらいもう一度違う角度からもとり、やっと満足しました。そのうちの一枚がこのブログの一番最初の大判の写真です。)
写真撮影後バイヨンの回廊をその壁画を見ながら回りました。南面には当時の庶民の生活が細かく描かれていました。
ご飯を炊く様子や、肉を料理する様子や狩りをする様子、出産の様子や商売をしている様子とか。また滅亡してしまっている今のベトナムあたりの勢力であったチャンパ族との戦いの模様などが事細かに描写されていました。
第一回廊から第二回廊を抜け中に入るとたくさんの四面観音を冠した建物が並んでいます。実際には48棟あるそうです。
この像はこのアンコールトムを建造したジャヤバルマン七世に似せて彫られているという説があります。穏やかな顔を見ていると、なんとなく和まされてくるようです。
あっという間に2時間近くたってしまったので、第一回廊を北に出て、北面に相撲や曲芸、馬車競争などが描かれているのを見た後、バイヨンを後にしてその北にあるパプーオンへ。
ここはアンコールワットが作られる半世紀前に建てられた寺院で、地上1mの高さにかかる空中参道が有名です。
このパプーオンの北側の壁の向こうが王宮です。その王宮内の代表的建造物がピアナカスです。天上の宮殿とか空中楼閣と言った意味があるそうです。
有名なのはここを訪れた三島由紀夫が、この建物内で大蛇が女に化けて毎夜王と交わるという言い伝えをもとにして戯曲を書いたことです。他の寺院の塔は褐色っぽい色調ですがここは、赤土色をしていました。
王宮の男池脇の門から王宮の外へ。お土産屋が並んでいる前を通りライ王のテラス脇を通り王のテラスへ。
ソカーさんによると、バイヨンの東側の道路の反対側は種々の競技が行われ、王のテラスや象のテラスからその競技を楽しんだそうです。一説によればそれは西のオリンピックに匹敵するものだったとか。
その模様がテラスの土台の壁面に描かれています。レスリングや相撲、競馬、やり投げ、弓、そして圧巻はポロ(馬に乗ってボールをゴールに入れる競技)まで描かれています。写真上段の中央にクロスした棒が見えますが、これがポロのスティックだそうです。この時代にこのアジアでポロが行われていたとは。
最後の写真は蓮の台座の上に白い木が重なって、丁度聖火のように見えませんか?
12時になったので次の見学場所のアンコールワット近くのレストランで昼食を取ることにしました。
この続きは次の(2)-アンコールワットでお伝えすることにします。
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