アンコールトムからアンコールワットに移動する途中で昼食を取ることになりました。暑さの中を歩き回ったので、当然私の喉はビールを期待しています。席に着くや否やローカルのビールを注文しました。料理は日本語ガイドのソカーさんに手伝っていただき、このあたりの代表的な料理を注文しました。
ココナッツ味のカレー、トムヤムクン、2種類の野菜炒めそれにドリンクを加えて4人で30ドルと手軽な値段でした。料理はタイ料理に近く、こんな観光客相手のレストランにしては美味でした。
食後今日から三泊するホテル、ソカ アンコール リゾートへ行き、チェックインして荷物を部屋に入れ、少し休憩しました。 このホテルはアンコールワットからもシェムリアップの繁華街にも近く、また日本人スタッフも常駐しており、日本人旅行客にも人気があるようです。私たちが滞在した10月末は雨期の終わり頃で格安料金で泊まれたのはラッキーでした。
冷たいビールで喉も潤い、汗も引きホテルでの休憩で午後の行動の活力が出てきたので、いよいよ今回の旅行のハイライトであるアンコールワットへ向かいました。
西参道正面から濠にかかる橋を渡り西塔門へ。ガイドのソカーさんからこの橋の修復を日本が手伝っている話や、濠の内側を囲っている周壁と天文の関係等を聞きながら西塔門に到着しました。
周壁の南北の両端は西参道正面から見ると北端が夏至の日、南端が当時の日そして春分・秋分の日には西塔門の真上から太陽が上がってきます。ここの緯度が赤道の北にあることから、西塔門から北の壁の方が南より少し短くなっています。
観光客で混雑している西塔門からではなく、北側の象の門からアンコールワット内部に入りました。写真で良く目にするアンコールワットの中心部が目の前に現れました。大感激です。
西塔門から真っ直ぐ中心部に延びる西参道の土台に描かれている壁画の説明を受けた後参道に上がりました。
写真ではよくわかりませんが、この参道はヒンズー教のお坊さんであるバラモンたちによって支えられています。
参道の両端には7つ頭の大蛇ナーガが欄干になっていました。これがほぼ等間隔で7つに区切られていました。この欄干の区切りとアンコールワットの中心の塔の群れが、先の周壁と天文学との関係と同じで、どちらも春分・秋分、そして夏至・冬至と朝日の上がる位置と関係があります。
春分・秋分には中央塔の真上から、夏至は北側の高い塔(経堂)の上から、冬至は南側の経堂の上から朝日が昇ることになります。しかし見る位置によって朝日の昇ってくる時間と位置が少し違い、9日間にわたってこの現象を見ることができるそうです。例えば3月21日が欄干の一番西塔門寄りだったとすると、翌22日は2番目の欄干の区切りのところ、23日はその次と言った風に。最後は29日に第一回廊近くのテラス付近となるそうです。機会があれば一度確認に来てみたいものです。
ガイドのソカーさんはこのあたりは非常に博識でした。そのほか第三回廊に上る階段を下から仰ぎ見ると北極星が見えるように作られているとか教えていただきました。
天文学は特に農業主体の民には重要な学問ですが、アンコールの学者たちはかなりのレベルだったようです。
参道を歩き切り第一回廊を横切って十字回廊へ。ここは病院であったとのことでした。漢字の「田」のように十字に仕切られたお風呂があり、それぞれが異なった病気の治療のため使われたそうです。廊下の一角にはエコーの良く響くところがあり、ここで壁に背をつけて胸をたたくとボワーンボワーンと響けば健康、響かない人は胸に病を持つとか。妻も私もよく響いたので一安心でした。
またここには1715年にここを訪れた日本人、多分最初の日本人、が残した落書きがあります。落書き自体は良くないことですが、歴史上重要な落書きですね。(写真の中央より下の部分に帝国と読めるのはもっと後の時代のものです。これは良くない例です。)
第二回廊を横切り、第三回廊との間を東に向かい、第三回廊北東部から第三回廊に登ります。結構急な階段です。
ここからは東西南北が見渡せ、深い森の中にあったこの遺跡が良く見つかったものと感心させられました。
内側はどこから見ても中央塔の雄姿が眺められます。
この第三回廊だけではなく、第二回廊にしても沢山のデバター(女官)が壁に描かれています。顔は勿論、服装や装飾品、姿勢も異なり、見るだけで楽しい壁画(彫刻)です。みんなが触るのか上半身裸の胸の部分だけが黒くなったデバターがたくさんありました。勿論私も触ってみましたが結構なボリュームでしたよ。
第三回廊は結構崩れている部分があり、その落下物が隅の方に並べられていました。建物自体も石積みの隙間が大きくなったところがかなりあって、回廊脇を歩くときは要注意です。いつまでこの遺跡が観覧可能であるのか疑問です。ここだけではなく多くのアンコールワットの遺跡の壁画等が砂岩に彫られているので、永久に保存されるわけではないので、早いうちに行くべき世界遺産のひとつです。
第一回廊に戻って、回廊の外壁全体に描かれた有名な壁画を見ていきました。
北側は神々と阿修羅の戦いが描かれています。東側には乳海攪乱が描かれています、これは神々と阿修羅が一緒になって、乳海を神の背に乗った大マンダラ山を大蛇の胴体に巻き付け、蛇を引っ張て攪乱し、不老不死の薬を作るというカンボジアの創世神話。
南側には天国と地獄が描かれていて、閻魔大王が行く先を決め、地獄がどのようなところか、天国がどのようなところか細かく描かれています。舌を抜かれる人、串刺しにされる人、火あぶりにされる人等々、生前の行いによって32段階になっているとか。恐ろしや、恐ろしや。
西側には古代インドの叙事詩マハーバラータが描かれており、ソカーさんによればこれは王族の教育用に使われたとか。
ざっと見るだけで30分以上かかります。もし次回会があればもっとゆっくり見てみたいものです。
西参道に戻り聖池へ。ここからは水面に写るアンコールワットの寺院群の写真を取ることができます。記念写真を撮った後、帰路に着きました。
途中日本人経営のアンコールクッキーでお土産を買い、アイスクリームを食べました。
ホテルに戻りシャワーを浴びた後、トゥクトゥクで近くのパブストリートへ夕食に。
クメール料理を楽しめるという「クメール・キッチン」と言うお店に行きました。早速ビールで乾杯。スパイシーなチキン、クメールスープ、ポークリブ、オムレツそしてドリンクでなんと4人で20ドルでした。安くて美味でした。
食後近くでフットマッサージ。7ドルで安いと思っていましたが、これは失敗。軽く触っている程度で全然効きませでした。ホテルの近くのスーパーで水とビールを買いました。ここで初めて現地通貨をおつりで渡されました。
長い一日がやっと終わりました。明日は近辺の遺跡巡りです。
2015年1月11日日曜日
アンコール遺跡群へ(7)ーロリュオス遺跡群
3時半にベン・メリアを後にして、来た道をシェムリアップに向かって引き返し、途中から南に下ってロリュオス遺跡群へ。ここはアンコールの最古の王都で9世紀の終わりにジャヤヴァルマン二世やインドラヴァルマン一世によって築かれました。
シェムリアップからプノンペンに向かって東西に伸びる国道6号線の南北に分かれて遺跡群があり、国道の北側にロレイ、南にプリア・コーそしてその南にバコンと3つの遺跡が並んでいます。
私たちはまずロレイを訪れました。元々は前日に訪れた東メボンと同じように、貯水池の中央に建てられていたようですが、今は水が枯れて周りは見渡す限りの水田となっていました。年代から見てここが東西メボンの原型だったそうです。
4つの塔(祠堂)からなっていますがどれも上の方は崩れかけていて草木で覆われていました。このままでは完全に崩れ落ちてしまうのも時間の問題ではないでしょうか。
それでも壁面の金剛力士像やデバター(女官)の壁画はきれいに残っていました。
写真の木の葉は、(6)ーベン・メリアで紹介した海苔のような野菜の正体です。この葉を細かく切って炒めたもだそうです。こんな木の葉が食べれるんですね。
寺院の裏手にお坊さんの学校(?)があるらしく、子供たちの読経の声が聞こえていました。
国道を横切って、アンコールの遺跡群の中では最古の寺院であるプリア・コウを訪れました。
聖なる牛と呼ばれるこの寺院は879年にインドラヴァルマン一世によって、祖先のために建立されました。聖なる牛はナンディンと呼ばれシバ神の乗り物でした。
こちらもロレイと同じ位崩壊が進んでいました。しかし幸いなことに祠堂入り口上部のまぐさや壁の壁画は1100年前のものとは思えないほどの保存状態でした。
まぐさの写真は蛇神ナーガを飲みこむ死者の王カーラです。
また壁画の写真は金剛力士像です。
車に戻る途中、子供たちが遊んでいるのを目にしました。学校でここの見学に来たのでしょうか。
最後にプリア・コウの南隣りに建つバコンを訪れました。
バコン寺院は前の2つと様式が異なり、寺院の周りに濠を巡らし、更に周壁で囲われた敷地の上に、ピラミッド型に五層の基壇の上に祠堂群が建てられています。その祠堂群は八つの小型の祠堂の中央に五重の層になった中央祠堂が建てられています。
東門から入ると、濠を渡る橋に巨大なナーガの欄干がありました。このナーガは頭部の大きさと言い、胴の太さと言い今回見た中では最大級でした。
橋を渡って周壁の東塔門から入りました。
東塔門から上を見上げると小窓の中に中央祠堂の頂部が覗けました。
急な階段の前に聖なる牛ナンディンの崩れた像がありました。そう言われなければ牛とは分からない代物でした。
基壇のあちらこちらには象や狛犬が建っていました。特に狛犬は後ろ足が完全に折り畳まれてお尻が地面に着く形でした。
これはもっとも古い形で、アンコール・トムなどの後ろ足が伸びた狛犬は年代が新しいことが分かるそうです。
中央祠堂も五層になっていて基壇の大きさの割には小さ目でスマートに建っています。時間も6時近くとなり西日を浴びて南面が輝いていました。
この中央祠堂でチップをもらって写真を撮らせている女の子がいました。可愛いですね。
急な階段を下りて車へ。
これで今回ガイドのソカーさんに頼んでいたすべての観光が終了しました。
6時を過ぎたので急ぎホテルまで送っていただき3日間のお礼を伝え、チップを差し上げてお別れしました。これ以降は私達の自由行動です。
部屋に入る前にコンサージでお勧めのレストランを予約しました。シャワーを浴びて着替え夕食へ。今回もトゥクトゥクで往復。1人1ドル。今夜の夕食はChenrey Treeと言う創作クメール料理の高級レストランです。最後の夜は豪華な食事となりました。それでも4人で74ドルでした。カメラを忘れたためお見せできないのが残念ですが、雰囲気・サービス・クオリティー共満足できました。
ホテル到着後明日の国立博物館見学の入場券を購入してそれぞれの部屋へ。
明日は博物館を見学したのち空港に向かう予定です。続きは最終章で。
シェムリアップからプノンペンに向かって東西に伸びる国道6号線の南北に分かれて遺跡群があり、国道の北側にロレイ、南にプリア・コーそしてその南にバコンと3つの遺跡が並んでいます。
私たちはまずロレイを訪れました。元々は前日に訪れた東メボンと同じように、貯水池の中央に建てられていたようですが、今は水が枯れて周りは見渡す限りの水田となっていました。年代から見てここが東西メボンの原型だったそうです。
4つの塔(祠堂)からなっていますがどれも上の方は崩れかけていて草木で覆われていました。このままでは完全に崩れ落ちてしまうのも時間の問題ではないでしょうか。
それでも壁面の金剛力士像やデバター(女官)の壁画はきれいに残っていました。
写真の木の葉は、(6)ーベン・メリアで紹介した海苔のような野菜の正体です。この葉を細かく切って炒めたもだそうです。こんな木の葉が食べれるんですね。
寺院の裏手にお坊さんの学校(?)があるらしく、子供たちの読経の声が聞こえていました。
国道を横切って、アンコールの遺跡群の中では最古の寺院であるプリア・コウを訪れました。
聖なる牛と呼ばれるこの寺院は879年にインドラヴァルマン一世によって、祖先のために建立されました。聖なる牛はナンディンと呼ばれシバ神の乗り物でした。
こちらもロレイと同じ位崩壊が進んでいました。しかし幸いなことに祠堂入り口上部のまぐさや壁の壁画は1100年前のものとは思えないほどの保存状態でした。
まぐさの写真は蛇神ナーガを飲みこむ死者の王カーラです。
また壁画の写真は金剛力士像です。
車に戻る途中、子供たちが遊んでいるのを目にしました。学校でここの見学に来たのでしょうか。
最後にプリア・コウの南隣りに建つバコンを訪れました。
バコン寺院は前の2つと様式が異なり、寺院の周りに濠を巡らし、更に周壁で囲われた敷地の上に、ピラミッド型に五層の基壇の上に祠堂群が建てられています。その祠堂群は八つの小型の祠堂の中央に五重の層になった中央祠堂が建てられています。
東門から入ると、濠を渡る橋に巨大なナーガの欄干がありました。このナーガは頭部の大きさと言い、胴の太さと言い今回見た中では最大級でした。
橋を渡って周壁の東塔門から入りました。
東塔門から上を見上げると小窓の中に中央祠堂の頂部が覗けました。
急な階段の前に聖なる牛ナンディンの崩れた像がありました。そう言われなければ牛とは分からない代物でした。
基壇のあちらこちらには象や狛犬が建っていました。特に狛犬は後ろ足が完全に折り畳まれてお尻が地面に着く形でした。
これはもっとも古い形で、アンコール・トムなどの後ろ足が伸びた狛犬は年代が新しいことが分かるそうです。
中央祠堂も五層になっていて基壇の大きさの割には小さ目でスマートに建っています。時間も6時近くとなり西日を浴びて南面が輝いていました。
この中央祠堂でチップをもらって写真を撮らせている女の子がいました。可愛いですね。
急な階段を下りて車へ。
これで今回ガイドのソカーさんに頼んでいたすべての観光が終了しました。
6時を過ぎたので急ぎホテルまで送っていただき3日間のお礼を伝え、チップを差し上げてお別れしました。これ以降は私達の自由行動です。
部屋に入る前にコンサージでお勧めのレストランを予約しました。シャワーを浴びて着替え夕食へ。今回もトゥクトゥクで往復。1人1ドル。今夜の夕食はChenrey Treeと言う創作クメール料理の高級レストランです。最後の夜は豪華な食事となりました。それでも4人で74ドルでした。カメラを忘れたためお見せできないのが残念ですが、雰囲気・サービス・クオリティー共満足できました。
ホテル到着後明日の国立博物館見学の入場券を購入してそれぞれの部屋へ。
明日は博物館を見学したのち空港に向かう予定です。続きは最終章で。
アンコール遺跡群へ(6)ーベン・メリア
バンティアイ・スレイを12時過ぎに出発。針路を更に北東に取り、プノン・クーレン山の麓に添って田舎道を走りました。
路肩に切り出した材木が山積みにされていたり、道路にはみ出して切った芋が干されていたり、牛が堂々と道路の真ん中を歩いていたりの全くの田舎道です。
面白いので走っている車の中から何枚かの写真を撮ってみました。
最初の日から気になっていたのですが、路肩のいたるところでペットボトルに入った液体が売られています。その正体がやっとわかりました。なんとガソリンです。
そういえばガソリンスタンドをあまり見かけません。主にバイク用かと思われますが、きっと車やトゥクトゥクも利用するのでしょう。それにしても照り付ける太陽に輝くガソリンを見ていると、なんだか不安になりました。
約1時間ほどでベン・メリアの入場券売り場に到着しました。他の遺跡は共通のチケットですが、郊外の遺跡は別途チケットの購入が必要となります。今回の観光ではこのベン・メリアだけがその対象でした。料金は5ドル。
この道路の反対に小学校があります。校舎の壁には熊本ライオンズクラブ小学校と書かれていました。
少し休憩していよいよベン・メリアです。
「花束の池」と言う意味を持ち、アンコールワットより少し前に建てられたそうです。アンコールワットと似ている点が多いので、東のアンコールワットと呼ばれているそうですが、日本人に知られているのは「天空のラピタ」のモチーフになったと言われていることでしょう。
またベン・メリアのベンは樹の名前で、硬い幹は高価な木材として利用され、その実はアクセサリーとしてお土産品となっています。
東口で車を降りて、水草に覆われた濠を渡って参道を行くと、まず最初に保存状態のとても良い蛇神ナーガの欄干がありました。ガイドブックによるとベスト・オブ・ナーガだそうです。
一番外の回廊の入り口(東門)付近は見事に崩れ落ちていて、まるで瓦礫の山です。これは蟻に浸食されて基礎が崩れたためらしく、人が手をかけなければこうなるのかと思わされました。何百年も放置されていたのを一部だけでも観光できるようにするまでには、きっと大変な努力が必要だったことでしょう。しかしまだ世界遺産には入っていないため、保存のための資金がないらしく、いつまでこの状態が保てるのか心配です。
ベン・メリアはアンコールワットと同じように三重の回廊を持っていて、一番外の回廊(第一回廊)と第二回廊の間には十字回廊もあったようですが、今ではどこが何なのかわからないくらい崩壊しています。
これでもかこれでもかと言った具合に、まるで人工的に作ったかのような異次元の世界が続きます。インディ・ジョーンズになった気分で、真っ暗な回廊の中を歩いたり、経蔵横の狭い通路をあるいたり、瓦礫の上をお尻を落としながら歩いたりしました。
ここは他の遺跡と違い、建物とか壁画を見るのでなく異次元でのアドヴェンチャー体験を楽しむところかと勘違いしそうになってしまいました。
第二回廊の東北の角に「天空の城ラピタ」のモチーフとなった所があります。
建物は崩れ屋根には木々が茂っていますが、壁のデバターの壁画は崩れずに残っていました。
1時間15分ほどでこの探検(?)を終えて西門から出ました。こちらに回されていた車に乗り近くのレストランで遅い昼食。
渇いた喉にビールがおいしい。
またここでは変わった野菜が出されました.見た目は海苔のような海藻系ですが、実際は樹の葉っぱだそうです。味と言うより食感が楽しめました。その(7)でその正体をお見せする予定です。
3時半に昼食を終えて、ロリュオス遺跡群に向かいました。
この続きはその(7)でお伝えします。
路肩に切り出した材木が山積みにされていたり、道路にはみ出して切った芋が干されていたり、牛が堂々と道路の真ん中を歩いていたりの全くの田舎道です。
面白いので走っている車の中から何枚かの写真を撮ってみました。
最初の日から気になっていたのですが、路肩のいたるところでペットボトルに入った液体が売られています。その正体がやっとわかりました。なんとガソリンです。
そういえばガソリンスタンドをあまり見かけません。主にバイク用かと思われますが、きっと車やトゥクトゥクも利用するのでしょう。それにしても照り付ける太陽に輝くガソリンを見ていると、なんだか不安になりました。
約1時間ほどでベン・メリアの入場券売り場に到着しました。他の遺跡は共通のチケットですが、郊外の遺跡は別途チケットの購入が必要となります。今回の観光ではこのベン・メリアだけがその対象でした。料金は5ドル。
この道路の反対に小学校があります。校舎の壁には熊本ライオンズクラブ小学校と書かれていました。
少し休憩していよいよベン・メリアです。
「花束の池」と言う意味を持ち、アンコールワットより少し前に建てられたそうです。アンコールワットと似ている点が多いので、東のアンコールワットと呼ばれているそうですが、日本人に知られているのは「天空のラピタ」のモチーフになったと言われていることでしょう。
またベン・メリアのベンは樹の名前で、硬い幹は高価な木材として利用され、その実はアクセサリーとしてお土産品となっています。
東口で車を降りて、水草に覆われた濠を渡って参道を行くと、まず最初に保存状態のとても良い蛇神ナーガの欄干がありました。ガイドブックによるとベスト・オブ・ナーガだそうです。
一番外の回廊の入り口(東門)付近は見事に崩れ落ちていて、まるで瓦礫の山です。これは蟻に浸食されて基礎が崩れたためらしく、人が手をかけなければこうなるのかと思わされました。何百年も放置されていたのを一部だけでも観光できるようにするまでには、きっと大変な努力が必要だったことでしょう。しかしまだ世界遺産には入っていないため、保存のための資金がないらしく、いつまでこの状態が保てるのか心配です。
ベン・メリアはアンコールワットと同じように三重の回廊を持っていて、一番外の回廊(第一回廊)と第二回廊の間には十字回廊もあったようですが、今ではどこが何なのかわからないくらい崩壊しています。
これでもかこれでもかと言った具合に、まるで人工的に作ったかのような異次元の世界が続きます。インディ・ジョーンズになった気分で、真っ暗な回廊の中を歩いたり、経蔵横の狭い通路をあるいたり、瓦礫の上をお尻を落としながら歩いたりしました。
ここは他の遺跡と違い、建物とか壁画を見るのでなく異次元でのアドヴェンチャー体験を楽しむところかと勘違いしそうになってしまいました。
第二回廊の東北の角に「天空の城ラピタ」のモチーフとなった所があります。
建物は崩れ屋根には木々が茂っていますが、壁のデバターの壁画は崩れずに残っていました。
1時間15分ほどでこの探検(?)を終えて西門から出ました。こちらに回されていた車に乗り近くのレストランで遅い昼食。
渇いた喉にビールがおいしい。
またここでは変わった野菜が出されました.見た目は海苔のような海藻系ですが、実際は樹の葉っぱだそうです。味と言うより食感が楽しめました。その(7)でその正体をお見せする予定です。
3時半に昼食を終えて、ロリュオス遺跡群に向かいました。
この続きはその(7)でお伝えします。
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