イーリンホーの棚田 |
この日は今回の旅行のハイライト。サパと言えば棚田、その内もっとも美しいとされているイーリンホーと言う部落の棚田に行き、その後2つの村を巡るトレッキングに参加しました。この様子をご紹介する前に、サパ(Sapa)について少しご紹介します。
写真は前回のハムロン丘でご紹介したものですが、この山間の町は標高1,560mに在って、ベトナムに在留していたフランス人達によって多くの別荘が建てられました。フランス軍が敗れた後、それらの建物は殆ど破壊されてしまったそうです。
今はベトナム北部の観光地として開発が急ピッチで進んでいます。
さて本題に戻ります。
トレッキングの予約は前日ホテルチェックイン時にフロントに頼んでおきました。
朝食後、フロントでガイドの到着を待ちました。
この時フロントにツアー料金1人17us$を支払いました。
写真はホテルのレストラン。今回の旅行中、ホテルはハノイを除き2軒とも朝食付きで予約しました。
ニンビンもサパも野菜や果物が豊富で美味しくヘルシーに頂きました。
特にサパはスイカなどのノーマルな品揃えの他に、写真には写っていませんが柿とミカンが有りました。どちらも日本の物と同種類で、マレーシアで暮らす身にとっては嬉しかった。
待ち合わせの9時半に民族衣装を纏った女性ガイドが到着。外に出ると10人ほどの団体が待っていました。
ここから3軒の旅行代理店へ。そのたびにお客が2人、3人と増えて行きました。
最後の店で1泊組と日帰り組に分かれました。私達は日帰り組です。
こちらは8名で出発です。
ガイドは一人と思っていたら、黒モン族の衣装に身を包んだ女性が4名着いてきます。
写真は旅行者のスタッフと私達のガイド(丁度手前の白い帽子の陰になって写っていません。)が何やらお金のやり取り。ガイド料金の支払かな?
先ず街中の道をどんどん下って行きます。街はずれの大きなホテルの先にチケット売り場がありました。ここでガイドが料金を支払い、棚田の方に向かいました。誰でも勝手に行けるのではなさそうでした。
建物の前のピンクのパーカーを着ているのが私達のガイドです。ガイドと言っても英語は多少話せるのですが、こちらから聞かない限り、何もガイドはしてくれません。ガイドと言うより道案内人ですね。
写真が先ほど触れた、街はずれの大きなホテルです。
遠くにファンシパン山、眼下に棚田群と眺めは最高でしょうね。
畑の中の道に入るとガイドはどんどん先に下って行きます。
必死に後ろから追っかけている妻。
谷の反対側(西側)に前日登ったファンシパンが望まれます。
ケ―ブル駅などの建物が朝日を浴びて白く輝いています。
残念ながらこの時期は稲は既に刈り取られ、田植え時期の水を張った田や、稲が伸びて緑に覆いつくされた田、そして刈込前の黄色に染まった田のどの風景も見ることは出来ませんでした。
雨期に行くと泥だらけになるとのブログ情報が沢山あったので、雨期は外そうとこの時期にしたのですが、歩きやすくはありましたが、色が無かったのが残念でした。
10月まで雨期とガイドブックに在りましたが、ガイドに尋ねると雨季は7月までとの事。黄色くなった棚田を見るには8月末から9月にかけてが良いとのことでした。
写真はホテルの廊下に飾ってあった写真を写したものです。(撮影者の方、無断利用ごめんなさい。)
これはおそらく田植えの時期でしょう。こんな写真が撮りたかった!
トレッキングですが、多くは田んぼの畦道を歩くきます。しかし写真の様な所も有ったり、小さな滝の流れ落ちる渓谷を渡ったりすることもあります。後半は殆ど車道でした。
雨季は終わって田んぼに水は入っていないとはいえ、ガイドはわざわざこんな狭い畦道を歩かせスリルを味合わせてくれます。
私を含め何人かが犠牲になり、靴が泥んこになってしまいました。
写真の畦道はまだ広い方です。靴は汚れてもいい物、防水性の有るものの方がいいでしょう。因みにラオカイの駅でハノイに戻る列車を待っていたレストランでは、靴磨きが何人もやってきました。おそらく多くの観光客の靴が泥んこになってしまっているのでしょう。いい商売らしい。
前方後円墳のような形の棚田が見えてきました。
良く見るとこのような円錐形の頭がカットされたような棚田が多く見られます。
稲が無いのが残念。ここには写っていませんが、水牛が放し飼いされていて、畦道の傾斜部分の草などを食んでいました。
1時間ほど歩いたところで休憩です。
写真の奥の方から手前に向かって歩いてきています。
これがなんだかわかりますか?
インディコ・ブルーです。つまり藍です。多くの民族衣装はこの藍を使って染めています。
良く見ると私達に着いてきていた黒モン族の女性たちの手が黒い。これは藍から染料を作るためです。
田んぼに出来ない傾斜地を使って、ところどころにこのように藍の栽培がされていました。
10分程休んで出発。右手の方に山肌を覆いつくすように棚田が広がっています。
アップにしてみました。
返す返すも緑か黄色だったら・・・・・・
写真は同行していた黒モン族の女性が作ってくれました。
もう一度短い休憩を取って直ぐに棚田から分かれ自動車道に出ました。少し歩いた先に展望台を兼ねた休憩所が。ここにはトイレも有るので少し長めの休憩です。
今回のブログの最初のパノラマ写真はここから撮ったものです。
左の写真のようにここでは川の流れも景色に変化を持たせています。
上の写真は展望台から右方向を写したものです。
こちらは左方向です。
良くま~これだけ開墾したものですね。農民の執念のようなものを感じました。
この休憩所でガイドや同行した黒モン族の女性たちに、前日ハムロン丘で買った栗を提供しました。喜んでくれたので持って行った甲斐が有りました。
ここでイーリンホーを後にして次の目的地のラオチャイ(Lao Chai)という村に向かいました。
遠くの谷間に見える村です。
車道を少し下り、途中から近道らしき山道を歩き、下の平地まで下って行きました。
途中で出会った水牛たちと。長閑~。
(本当は他のメンバーから相当遅れて焦っていたのですが。)
平地に近い棚田は1つ1つの田んぼの面積も広く、土壌も肥沃そうでした。
牧歌的な風景が広がります。
上の写真に写っている川を渡るとラオチャイ村です。
橋を渡って左手に折れると、道沿いに食堂やお土産物を売っている店が並んでいました。
写真左手に写っているのは食堂の一つですが、既に満員でした。
時刻も既に12時半を回っていたので、私たちもこのうちの1軒で昼食です。
ここが私達の入ったお店の入り口です。
田舎の店って感じです。
後ろ姿の妻の横にいるのは先にお見せしたハートと馬を編んでくれた黒モン族の女性です。
背中に背負った籠の中には。私達に売ろうとしているお土産が入っていました。
これがランチです。手前から揚げ春巻き、チキンカレー、そして豆腐の揚げ物でした。どれも結構美味しかった。食事はツアー料金に含まれています。勿論汗をかいた体に冷たいビールは欠かせませんでした。こちらは有料で30,000ドン(150円)でした。
食べている間にモン族の女性がお土産を売りに来ました。買う気はなかったのですが色々お世話になったので、チップのつもりで小物を一つ買いました。メンバーの中で買ったのは私達だけでした。みんな若いのでクール!
お店の中です。
立っている4人は私達のメンバーです。男性3人がフランス人、女性が韓国人です。この他に韓国人の女性と最初は国籍不明だった日本人の若い男性です。
食堂を出ると黒モン族の女性たちの姿はもうありませんでした。現金なものですね。商売が終わったのでさっさと帰って行ったようです。おそらくこの辺りに住んでるんでしょう。
少数民族の村々を巡るツアーなのに、ガイドはどんどん前に向かうだけで何の説明もありません。てっきり民家に寄ってその生活を覗くとかすると思っていたし、各少数民族の特徴とかを教えてくれるものと期待していましたが、そういったものは全くありませんでした。
この辺りはラオチャイ(Lao Chai)村ですが、黒モン族が多く住んでいるそうです。
これが黒モン族のスカート?
こちらはラオチャイ村の小学校。こんな風にSapaの観光客は圧倒的欧米人が多いようです。
道端のお店では柿やミカンが。やはりこの辺りでも穫れるんですね。
ラオチャイの村はずれに在るゲストハウス。
これは結構現代的ですが、民宿をやっているような少数民族の家も何軒かありました。
利用するのは殆どが欧米人のバックパッカーの様です。朝分かれた1泊ツアー組はアジア系は皆無でした。
知らないうちにタヴァン村に入っていました。この村にはザイ族、黒モン族、赤ザオ族などが住んでいるそうです。(ガイドブックより)
写真はタヴァンの小学校です。
どこも学校はしっかりしているので、意外とこの辺りは裕福なのかも。
村はずれに有ったスーパーです。
かなりイメージとはかけ離れた生活ぶりでした。
ここから橋を渡ったところでトレッキングは終了です。
迎えのバスを待つ観光客と最後の商売に掛ける赤ザオ族の女性たちです。
私達のグループのメンバーの一人が最後までターゲットとされました。
中々いいムード。
結局何も買わなかったそうです。
バスに乗った時点でガイドは去って行きました。チップは不要でした。
バスに揺られて30分。15時15分にホテル前到着です。他のメンバーはここから歩いて各自のホテルに帰ります。私達は道路を横切るだけでした。
万歩計を見たら17,000歩ほど歩いていました。因みにこの日1日では20,000歩を超えていました。
次回は最終回です。この夜のサパの町と翌日のバックハーの日曜市ツアーをご紹介します。
0 件のコメント:
コメントを投稿