2017年4月25日火曜日

ベトナム世界遺産巡り4 - ミーソン・ホイアン観光


ホイアンの夜
今回は4日目のミーソン遺跡とホイアン観光です。

 1.クアラルンプールからハノイそしてダナンへ(1日目~2日目午前)
 2.ダナンの五行山観光とダナンの夜(2日目午後)
 3.世界遺産のフエ観光(3日目)
 4.世界遺産のミーソン遺跡ともう一つの世界遺産のホイアン観光(4日目)
 5.ダナンからハノイ。世界遺産のタンロン遺跡見学と市内観光(5日目)
 6.世界遺産のハロン湾1泊2日クルーズ(6日目~7日目)
 7.ハノイからクアラルンプールへ(8日目)と番外編

4.世界遺産のミーソン遺跡ともう一つの世界遺産のホイアン観光(4日目)

 午前8時にロビーでこの日の日本語ガイドのGさんと待ち合わせ、マイクロバスにてミーソン遺跡に向かいました。
途中ダナンの最南端近くに在るダナンで唯一の日系リゾートのプルクラリゾートで若いカップルをピックアップ。
ところがこのカップル、準備に時間がかかりなんと20分も待たされてしまいました。時間前に準備して待っているのは老人だけかな?

待つ間に写真の様な敷地内を散歩してリゾート気分を味わうことができたので、かえって良かった?



次にホイアンのビーチサイドに立つ、パーム・ガーデン・ビーチ・リゾートに3名のご家族をピックの為立ち寄りました。ホイアンにビーチのイメージはありませんでしたが、中心街から直線距離で約5kmしか離れていないこのビーチも有名らしい。またホイアンはもともとは港町として栄えた街でしたが、砂の堆積で川底が浅くなり、ダナンがその役割を引き継いだそうです。

このホテルを出るまでに私たちのホテルを出てからすでに1時間が経っていました。 ホイアンの街をかすめて西へ向かって走ること約1時間と10分。結構乗り疲れた頃、やっとミーソン遺跡の入り口に到着です。写真はゲートを入ったところから後ろを向いて取っています。
ここから100m程歩いて橋を渡った先に待機している連絡用のバスで遺跡群の入り口まで行きます。所要時間は3分程です。




入って直ぐに遺跡管理小屋があって、ここでは毎日5回15分ほどのチャムダンスショーが行われています。無料です。偶然にも丁度ショーが始まったところだったのですが、私たちは先を急ぎ写真を撮るだけにしました。







ミーソン遺跡はチャンパ王国の聖地だったところで、シバ神などを祀るために建てられたレンガ造りの建物などの跡が散在しています。1999年にユネスコの世界遺産に登録されました。

写真の奥に見える山が聖山のマハーパルヴァタだそうです。






アンコール遺跡群から比べると規模も保存状態も比べものにならないので余り期待して行かない方が良いかもしれません。崩壊が自然の影響からだけではなく、ベトナム戦争時に解放軍の基地となっていた為、アメリカ軍の空爆によることが大きいことを考えると、少し残念な気がします。






それでも8世紀から13世紀にかけて作られた建物の壁には写真の様なチャンパの芸術が偲ばれるような彫刻が、少しは残っていました。
写真は女神像です。

こちらはアンコール遺跡群にも沢山見かけた、時間を象徴する神で「死者の王、ヤマ」の別名を持ち、インド神話では食欲旺盛で自分の体まで食べてしまったと伝えられている「カーラ」でしょうか。









1時間20分程の滞在でミーソンを後にしました。












ホイアンの町まで約1時間のドライブ。市内に在る観光客専用の様なレストランで昼食。ミーソンが暑かったのでここでの冷たいビールはうれしかった。




写真は料理の一部です。左が茄子のオイスターソース炒め、右が魚とパイナップルの蒸し煮です。

食後、グエンフエ通りとファンチャウチン通りの角に在るインフォメーション・センター脇から観光用のシクロ(3輪の自転車の前に一人用の座席の付いた乗り物)に乗りました。
20分程街中を巡りましたが結構歩いている人に注目されてしまうので恥ずかしい。

ホイアン市場付近でシクロを降り、ここから歩いて名所めぐりです。




最初に訪れたのが福建会館。中国福建省出身者の多くが信仰する航海安全の神の天后聖母が祀られています。
このような会館は他にも潮州会館や廣肇会館など、華僑の同郷者の集会所として現在も使われています。







また福建会館の奥には17世紀に福建省からやって来た6家族の家長の像も安置されています。

写真の天井からぶら下がっているのはお線香です。







この福建会館から200m程西に在る貿易陶磁博物館、別名海のシルクロード博物館へ。この周辺で発掘されたり沈没船から回収された陶磁器や小舟の模型が展示されています。












この博物館は当時の民家を利用していて、このあたりの民家が京都や奈良の町家のように、間口が狭く奥に長い作りの2階建てになっている様子が良くわかります。

一番奥には写真の様な台所があります。







そこからさらに西に300mほど行ったところに有名な日本橋があります。本来の名前は来遠橋で、ベトナム紙幣の20,000ドン(100円)札にも印刷されています。










諸説あるらしいですが、橋の一方に日本人、反対側に中国人の町があり、日本人によって架けられたので日本橋と呼ばれているそうです。橋の両側にそれぞれ犬と猿の像があり、中ほどに小さな寺があります。この寺はまた裁判所の役目があり、両側でのもめ事の裁定をしたそうです。

この橋の西詰に馮興家(フーンフンの家)があります。この家は200年前に貿易商人の家として建てられまし。ベトナム、中国そして日本の建築様式が取り入れられています。洪水の際に2階に商品を運び上げるための天井窓が造られています。
写真は2階からその天窓を見たところです。

ここでHISのホイアンツアーはお終いでした。ホテルまで送ってもらえるのですが、私たちは夜景を見たいのでここでグループと別れました。


まず日本橋近くのアンホイ橋を渡り対岸に。
写真は橋を渡ったところから写したものです。

ガイドブックに載っていたダック・カフェに向かいました。ところが同じ住所にはマッサージ店しかありませんでした。つぶれたのかな?諦めて近くでお茶をしてから、旧市街へ戻り先ほどシクロで回ったところをゆっくり歩いてみました。





この辺りには写真のようにこじゃれたレストランやカフェ、そして小物や、革製品、衣類や銀製品を扱っている店が軒を連ねています。

多くの白人観光客がおそらく長期滞在しており、思い思いに自転車や徒歩で散策していました。

中心街のグエンタイホック通りに戻り、ウインドウショッピング。その中の一軒でシャツなどをお土産に購入した後、ガイドブックにも紹介されているモーニング・グローリーと言うレストランへ。


この店はオープンキッチンで料理の流れが見られるのですが生憎満席。先に予約をしておけばよかったと後悔しました。向かい側に2号店が有りそちらは空いていたのと、料理は同じなのでこちらに入りました。 ホイアン名物3種のホワイトローズ、揚げワンタン、そしてカオラウを注文。プラス、パパイアと牛肉のサラダ、ビールにホイアンティーで、2,000円でした。
因みに写真の左上がサラダ、その下がカオラウ、右上が揚げワンタン、その下がホワイトローズです。
ホワイトローズは米粉で作った皮にエビのすり身を詰めて蒸したもの。カオラウは日本の伊勢うどんがルーツの米粉の麺。揚げワンタンは豚のミンチとエビのすり身を黄色い皮で包み揚げたものです。どれもとても美味でした。
これらのホイアン料理を堪能して、表に出ると既に夕暮れ時。通りにはこのブログの最初の写真のようにランタンが数多くともされていて、ホイアンの夜を彩っていました。

左の写真は満席で入れなかったモーニング・グローリーの本館です。因みにモーニング・グローリーとは英語で朝顔のことです。





この頃には写真のように日本橋もライトアップされていました。











アンホイ橋周辺も色とりどりのランタンで飾られ、昼間はそれほどではなかった観光客もこの夜景と涼しさにつられ倍増していました。
川面の飾られたボートでは新婚カップルが記念写真を撮っていました。それにしてもなんとこのようなカップルの多かったことか?新婚旅行のメッカなのかな?






アンホイ橋を渡って50m程左に行ったところから再度左折すると、夜市が開かれています。名物は軒を連ねているランタンを売る屋台です。ここも写真のように新婚カップルが必ず写真を撮っていて、ランタンだけを写すことは不可能でした。







川沿いに戻り西へ(屋台通りから左折)して約300m程行くと交差点に出ます。このあたりにはタクシーが沢山客待ちしています。流しの方が安全そうだったので捕まえたところ、客待ちの運転手たちが寄って来てそれはダメとのこと。無理やり彼らの中の1台に乗ることになってしまいました。ミニバンタイプの車だったので、小型に乗りたいといったのですが値段は同じだと押し切られてしまいました。回り道をされるようなことはなかったのですが、35分ほどの道のりで約2,500円ほど取られてしまいました。ガイドから1,500円から2,000円程と聞いていたので、大型だった分高かったようです。それでも無事にホテルに到着、ホッとしました。翌朝は6時30分発の飛行機でハノイに戻ります。それはまた次の回で。

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