フエ王宮の午門 |
ところでこのブログを揚げるのは4月16日ですが、この日の昼頃日本人会の建物に皇太子殿下がお見えになり、お迎えのボランティアに参加して来ました。このフエには私達の行った3週間程前の3月の初旬に、ベトナムを訪問なされた天皇陛下がお立ち寄りになったそうです。
1.クアラルンプールからハノイそしてダナンへ(1日目~2日目午前)
2.ダナンの五行山観光とダナンの夜(2日目午後)
3.世界遺産のフエ観光(3日目)
4.世界遺産のミーソン遺跡ともう一つの世界遺産のホイアン観光(4日目)
5.ダナンからハノイ。世界遺産のタンロン遺跡見学と市内観光(5日目)
6.世界遺産のハロン湾1泊2日クルーズ(6日目~7日目)
7.ハノイからクアラルンプールへ(8日目)と番外編
3.世界遺産のフエ観光(3日目)
この日は8時15分にホテルのロビーでHISの日本語ガイドさんと待ち合わせ。車でフエの観光に。
その前にまずホテルで朝食。片道2時間かかるので腹ごしらえをしっかりすることに。
小さい方の写真は妻が主食として取ってきたフォー2種。淡白なチキンと辛めのビーフ。
フエへはHISより混載と聞いていましたが、本日はラッキーなことに私達2人だけの貸し切り車でした。ガイドは男性のAさん。結構日本語が達者で、説明もよく理解できました。
市街地を抜け、国道1号線を北上。20分程でハイヴァン峠を抜ける東南アジアで最も長いトンネルへ向かうバイパス道路へ。直ぐにゲートが有って、ここでバイクはストップ。専用の運搬トラックでトンネルの先まで運ばれることになります。バイクの運転手はミニバスでトンネル越えをします。トンネル内の事故を防ぐためでしょうか。
以前は見晴らしの良いことで有名なハイヴァン峠を越えていましたが、このトンネルと後で通過する2つのトンネルができたために、合わせて1時間近くフエまでの時間が短縮されたそうです。
ゲートから5分ほどでトンネルの入り口です。トンネルは抜けるのに10分程かかりました。6300mもあるそうです。トンネルを抜けると眼下にランコー村が見えてきます。南シナ海に向かった東側は鳴き砂で有名なランコービーチ、西側は干潟でその奥は汽水湖(淡水と海水の混じった湖)となっています。ここではウナギか何かの養殖がされていました。美しい景観でしたが、車を停めることが出来ず写真を撮ることはできませんでした。
国道1号線を快適に走っている途中、
この2枚の写真に写っている標識を数多く見かけました。これは街区の入り口と出口を表したもの様です。入り口と同じサインに赤で斜線を入れたのものが出口。
分かりやすくていいですね。
フエまでの道路は列車の線路と結構長い区間を並走しているのですが、2時間のドライブ中に列車と遭遇したのは上下を合わせてこの時だけでした。
ホテルを出て約2時間、旧市街地に在る阮(グエン)王朝の王宮に着きました。新市街からフォーン川を渡ったところに駐車場があります。大型のバスで来るとここで下車ですが、私たちの乗ったミニバンは内堀を超えてカン門をくぐったところにある大砲を並べたところまで入れました。
これらの4つの大砲はそれぞれ、春、夏、秋、冬の四季を表し、反対側に在る5つの大砲は先に説明しました五行(木、火、土、金、水)を表しているそうです。因みにこれらの大砲は一度も使われたことがないそうです。
ここで車を降りて、徒歩で阮王朝の王宮を見学しました。阮王朝は1802年から1945年まで続き13代の王が統治しました。日本で言えば江戸時代後期から昭和20年までですね。
このフラッグタワーの真向かいに王宮正門の午門があります。写真は向かて右側の入場券売り場付近から濠越しに撮ったものです。
入場券料はツアー代金に含まれていたのですが、この王宮だけだたと750円だそうです。そのほか後で訪れるいくつかの帝陵を含めるチケットも発売されているそうです。
濠の橋を渡ったところにある門には5つの出入り口があります。真ん中は皇帝専用で今では使用されていません。その左右は文官・武官専用の出入り口で今では観光客用です。そして左右に飛び出ている部分に兵士や馬などの為の出入り口があります。
午門の午(ウマ)と言う字は南を表し、正午に太陽が当たることを示しています。そのほかにも名前の由来は或るのですが、門を入った向こうにある太和殿の名前なども北京の故宮と同じ発想でつけられたもので、中国文化の影響が大きいことが良くわかります。
門の壁には多くのベトナム戦争時の弾丸の跡が残っています。
こちらが太和殿です。
太和殿からフラッグタワー方向を向いた眺めです。ここから左回り(時計周り)に王宮内を四分の3周しました。
まず最初に訪れたのが顕臨閣で阮王朝の菩提寺です。
建物の前に歴代の皇帝の名前を記した鼎が並んでいました。
写真を撮っている側には世祖廟があって10人の位牌が祀られていました。
延寿宮(第9代皇帝の母親の住居)、そして長生宮(第2代皇帝によって建てられ、のちに歴代皇后の住居として使用された)へ。
写真の朱色の回廊を通って、東進し第3代皇帝によって書斎として建てられた太平樓へ。
美しい屋根の飾りを持つ太平樓です。
最後に閲是堂と呼ばれる劇場へ。ここは今でも使用され1日に2回午前10時と午後3時から40分間、宮廷舞踊が演じられているそうです。
生憎私たちは、時間が合わず観ることはできませんでした。
ここから顕仁門(東門又は男門)へ出て王宮観光は終了です。約1時間40分、1度トイレ休憩を挟んだほかは歩きっぱなしでした。流石に疲れました。
ここから車で5分でフォーン川へ。待っていたボートに川岸の草をかき分け近づき、飛び乗りました。丁度12時。25分ほどのクルーズ。このボートも私達とガイドさんだけでの借切り。王宮での疲れと気持ちの良さに妻はうたたね。小さい方の写真がそのボートです。
出てすぐの対岸に3月初旬にベトナム訪問された天皇陛下がご宿泊されたホテルが眺められました。
次の目的地は船着き場のすぐ上に在るフエの世界遺産のシンボルの一つのティエンム寺です。
写真の船着き場の上に見えている塔から先がそのお寺です。7層の塔の名前は慈悲塔です。
この各層には仏像が安置されているそうですが中には入れません。
この塔もフエの世界遺産のシンボルとなっています。
山門をくぐると奥にダイフン寺があります。
この写真の青銅の仏像はポルトガル人が造ったものでそうです。
またここにはベトナム戦争中抗議の為に焼身自殺をした住職が当時のサイゴン(今のホーチミン)市まで乗って行った車が展示されています。
写真の樹の実はお釈迦様が涅槃に入った時に四方に在ったとされる沙羅双樹の実です。初めて見たかも?
午後1時になったのでここから川を渡って次の目的地トゥドック帝陵へ向かう途中のMoc Vienと言うかなり大きなレストランで昼食を取りました。おそらく観光客用だと思われますが、写真のようになかなか趣のある作りでした。
料理もまずまずでした。
このレストランから車で10分程で次の目的地のトゥドゥク帝のお墓です。トゥドゥク帝は第4代の皇帝です。お墓の規模もかなり大きく、池に張り出した建物では当時の音楽の演奏が再現されていました。
写真はお墓への入り口の門です。
小さい方の写真はお墓です。但し実際にはここには埋葬されておらず、どこに本当のお墓が有るのかわかってないそうです。
中国の兵馬俑のように武官や文官そして象や馬の像も埋められたそうです。
これは何かわかりますか?
お参りする方たちが使うお線香です。お寺の近くにはこのようなお線香を売っている店がたくさんありました。
この頃から雲行きが怪しくなりポツリポツリと降ってきました。急いで最後の目的地のカンディン帝陵へ。 10分弱で到着。この12代皇帝は派手付きでその上男色だったそうで、子供はできなかったそうです。
こちらには武官文官だけでなく一般の兵士の像もありました。
また室内の装飾で特筆すべきは、写真の様な壁画が陶器や漆器それにガラス製品を割って描かれていることです。左端の梅の木の幹はビール瓶の破片で作られています。そこには日本のビールの名前が読み取れるものもありました。
これでフエの観光はお終いです。2時間ほどでダナンのホテルに帰ってきました。
夜は偶然同じ日にダナンに宿泊していた、クアラルンプールでの友人のH氏ご夫妻とアプサラと言うレストランで夕食。一応予約をしていったのですが、店内は閑散としていてショーの踊り子さんもバンドのメンバーも張り合いがなさそうでした。
食後にH 氏ご夫妻とBrilliant Hotelの屋上バーで夜景を見ながら歓談しました。
お付き合いありがとうございました。
翌日はミーソン・ホイアンです。近日中にアップしたいと思います。
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