2024年11月2日土曜日

ネパール 世界遺産を巡る旅 その6 仏陀生誕地 ルンビニ


ルンビニ園・平和の火

チトワンから次の目的地で世界遺産のルンビニ、仏陀生誕の地に向かいました。予定では約4時間の車移動。到着後ルンビニ園の見学、そして時間が有ればもう一つの仏教遺跡で、仏陀が29歳まで過ごした王宮跡の有るティラウコットに行く予定でした。

結論から言うとチトワンからルンビニ迄、何と12時間かかってしまいこの日の予定は全滅でした。

午前7時にチトワンのホテルを出発。

この時はルンルン気分で、ホテルのスタッフに笑顔で挨拶。





チトワン国立公園のベースであるソウラハの街を抜け、マヘンドラ・ハイウェイ(H01)へ。

大きな牛の像が道路の真ん中に。




やがてチトワン国立公園のゲートを通過。






チトワンの最寄りの空港のあるバラトプルを抜け、ナラヤンガートの街へ。

写真の辺りはまだ舗装もきれいでしたが、大きな町なのに所々道路がガタガタ。

インドへの主要道の為、大型トラックやバスがひっきりなしに通るのと雨期の雨で道路の痛みが酷い。


30分程で町の北側を流れているナラヤニ川を渡りました。

そのままマヘンドラ・ハイウェイで川沿いを西進。




1時間半ほどでトイレ休憩。立ち寄ったのは

CG Shashwat Dhamと言う寺院でした。




この写真の白いパネルに人生の教訓が書かれています。

例えば、「あなたの物、私の物、大きい、小さいと言う考えは消し去りなさい。すべてはあなたの物であり、そのすべては皆の物です。」

大きくて立派な寺院ですが、レストランやお土産ショップも有り、新しい感じでした。

こちらは裏側から見た本堂です。




道路から見るとこのような屋台しか見えなく、たまたまドライバーのシバさんが知っていたので寄ることが出来ました。

ここでトイレを済ませたのが後々大いに助かることになろうとは。

この辺りで、すでに道路の舗装はかなり荒れていました。


そのうちハイウェイ沿いの町中でも写真のような状況になりました。





写真は途中で見つけた「JAPAN」の文字。

ネパールは海外留学が盛んで、こんな小さな町でも日本やアメリカ、カナダ、オーストラリア、韓国などへの留学をサポートする組織が有ります。

今回の旅行中に何十軒もありました。


しばらく行くと道は川から離れ山間を通るようになりました。

さあ~、これからが大変です。10分止まって2分走る。ひどい時には20分以上止まって3分しか走らないことも。

バスが故障して、代わりのバスを待つ乗客。一体何時間待つことになるのでしょう。


濛々と舞う砂煙の中、やっとすれ違えた上りと下りの車。








ついに止まってしまいました。

この写真は11時15分頃撮ったものです。
既に出発して4時間以上。

朝食用にホテルが用意してくれたお弁当の一つをドライバーのシバさんに。妻は乗り物酔いの薬を飲んで寝ているので、もう一つを私が頂きました。



渋滞の原因はあちらこちらで起こっているがけ崩れです。

左側が通れないので、この先で交互通行になっていました。

これが最後の渋滞箇所と何回思ったことでしょうか。

この時既に12時15分。

左の写真のように、大型トラックが崩れて来た土砂を避けて通るので、反対側はちょっとでも対向車が切れた瞬間を狙って進むことになります。

何故なら交通整理をする警官がいない事の方が多いから。

この写真は12時50分。


この様に大きく擁壁が崩れたところも。

この写真は16時50分です。

途中トイレにも寄っていません。

バスの乗客は、暑いバスの中で茹るのを避けて前へ前へと歩いています。後からバスが来て追いつくとピックアップしてました。


上の写真の箇所を抜けるとやっと下り坂になり、車が動き始めました。

この写真は坂を下っている途中振り返って上って行く車の渋滞を見たものです。





この峠の下の街では、検問所が有り止められたトラックが長蛇の列を作っていました。

その反対側を悠々と歩く牛が。







ここから更に1時間走って、18時半ごろルンビニの街を通過。町からホテルまでは20km。

既に暗くなっていたので、ホテルの入り口が見当たらず右往左往してしまいましが無事到着。今日の宿の「法華ホテル」です。
到着後チェックインの前に先ずトイレへ。

こちらが私たちの部屋です。

何と日本式のお風呂が。大浴場も有るらしいのですが、今回は使用しませんでした。








午後8時も近かったので、夕食へ。

ネパール料理の連続に多少飽きが来ていたので、うれしい日本食でした。

てんぷら、揚げ豆腐、大根のなます、もやしのあんかけ、チキンの照り焼き、お蕎麦、味噌汁、ごはん。


低層のホテル棟の中には、ライトがともって幻想的でした。

お風呂に入って明日の観光に備えました。






翌朝は朝陽が上る中をレストランへ。

正面が本館、右側がルンビニ園方向になります。






この日の朝食です。お粥を頼みました。

本格的にお米から焚いた美味しいお粥でした。

自分が日本人だという事を再確認できました。

7時にガイドが来てシバさんの車でルンビニ園に向かいました。


ルンビニ園は丹下健三がデザインしたマスタープランに従って各国の寺院が今も建造され続けています。

写真の平和の火から北に伸びる運河沿いに各国の寺院が並んでいます。

この平和の火は1986年11月1日の国際平和の日を記念して点火されて以来、一度も消えていないそうです。

上の写真の一番奥の白い仏塔は日本山妙法寺です。その向かって右手前に法華ホテルが有ります。

反対側は聖園と呼ばれる丸く堀で囲われた地域で、中心に仏陀が生まれたとされるマーヤー聖堂があります。

この黄金の像は誕生仏と呼ばれています


入場料です。
ネパール人はRs.20, 外国人はRs.1000です。ここ格差凄い。
姫路城も格差を作るべき!?

入場ゲートの先で靴を脱ぎます。結構汚れるので、履き捨ての靴下を持って行くべきだった。
もう一つゲートが有り保安検査。バッグ等はロッカーに置いて行きます。ビデオは不可。カメラはOKでした。

こちらがマーヤ聖堂。



上の写真の向かって右側にアショーカ王の石碑があります。

この石塔が見つかったことにより、ここが仏陀の生誕地であったと認定(?)されたらしい。

600年代、この地に三蔵法師も訪れたそうです。

マーヤー聖堂の中は撮影禁止。

厳粛な建物内にはマークストーン(ここで仏陀が生まれたという印)が安置されています。但しこれは発見時には別の場所にあったそうです。

マークストーンの上に置かれているレリーフも、後で発掘されここに置かれたそうです。

私達もお祈りを。

裏口から出ると貯水池とその向こうに大きな菩提樹が有ります。

この菩提樹は仏陀とは全く関係ないのですが、周りでは多くの出家僧が瞑想していました。

仏陀を生んだマーヤーは懐妊を夢で知り、夫のもとに向かう途中、この地で休息をとりました。

写真の貯水池の場所には、もともと池がありました。
その畔で陣痛がきたマーヤーは28歩歩いて大きな木に右手を掛け、立ったまま仏陀を生んだそうです。
その姿から右手の脇の下から仏陀が生まれたという通説が生まれています。
マークストーンは池から28歩の所に安置されています。

マーヤー聖堂の周りには、まだ発掘の終わっていない遺跡が幾つか残されていました。









マーヤー聖堂の入り口に戻り、荷物を受け取り靴を履いて、隣にあるネパール寺へ向かいました。

途中インド系の子供たちの物乞いに纏われ付かれ参りました。

彼らには信仰より生活なんでしょうね。



中に入ると人懐っこい(?)和尚さんが寄って来て、お寺の説明をしてくれました。

少しばかりのお布施を渡したら、写真の撮影を許可してくれました。

左の写真がご本尊三体の様です。


こちらのレリーフは先ほど触れた仏陀生誕の図です。

マーヤーは痛みをこらえる為右手を上げて木の枝を握りしめています。

仏陀(ゴータマ・シッタールダ)は生まれると直ぐに四方に7歩歩き、「天上天下唯我独尊」と言ったのは有名な逸話ですね。


中央の運河沿いには各国の寺院が建てられています。

写真はミャンマー寺です。ヤンゴンにあるシッタゴン・パゴダにどことなく似ています。
ウデピー夫婦のマレーシアライフ: ミャンマーへ行ってきました_8日目 ヤンゴンからKLへ








こちらはネパール尼僧院?










北端にありルンビニ園を見渡すかのように立っているのが、日本山妙法寺です。

世界に100か所の仏塔を立てるのが目標らしいですが、ネパールにはこことポカラにあります。





参道の花畑を待っていたアゲハ蝶です。










ここから一度ホテルに戻りガイドと別れて、チェックアウト。

ランチボックスを受け取り、シバさんの車でポカラに向かいました。

このルートがチトワンールンビニ間のような悪路でないことを祈りつつ出発しました。

この続きは次回お伝えします。

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