| シャフリサーブスのアクサライ宮殿跡とティムール像 |
まだ左のわき腹が痛いのですが、今日の予定をこなすことにしました。
朝食ブッフェの一部です。左上の洋梨が美味しかった。
写真は2泊したKo'k Saroy Plaze Hotelです。
今日はオプションでお願いした、シャフリサーブス観光です。ここには今回の旅行で訪れる4つ目の世界遺産があります。
峠を越えた後にある新しいレストランと後ろに広がる山並み。
この辺りからシャフリサーブスの手前にあるキタブの町に入るまでは殆ど木の生えていない黄色い世界です。
この写真には写っていませんが、このような山肌にも所々民家が建っているのには驚きました。
水の確保が出来ているのか心配。
キタブに入ると一気に緑が増え、道路の両脇には果樹園が並んでいました。
このキタブを過ぎるとシャフリサーブスです。こんなところにこんな大きな町があるのかと思ったのが最初の印象でした。
やがて車はアクサライ宮殿の城壁にある門の前に到着。
こちらは北側で、この門から南の出口まで歩きます。車はそちらで待っていてくれます。
写真は門をくぐって振り返って写しました。
写真の左手にトイレが有ります。勿論有料。
その前に入場チケットを購入。
1人40kスム、約500円です。この後幾つかの有料エリアに行きますが、すべて同じ料金でした。
この宮殿はティムールが住む予定でした。14世紀末に25年間かけて造られたこの宮殿は、ティムールの命で建てられた建造物で最も大きな物でした。
しかし16世紀に破壊され、現存しているのは門の一部だけです。
民族衣装を纏い記念写真を撮ってるカップルがいました。
アクサライとは「白い(又は壮大な)宮殿」と言う意味ですが、実際は青と黄金のタイルで装飾されていたそうです。
因みにシャフリサーブスとは「緑が溢れている街」です。
アーチの横の壁面に凹凸のある装飾が施されているのは初めて見ました。
遅れましたが、この日は私は一眼のカメラで写真が撮れています。
アーム・サポーターに載せるとシャッターが切れることを発見。前日からそうしていれば良かったのに。残念!
保護用のガラスを通した写真なので鮮明には見えませんが八角星の模様に見えます。
この辺りに噴水の置かれた中庭が有ったようです。
写真を撮っている私の後ろにティムール像があります。
生まれ故郷なのでこれから出発することを示しているようです。
二体目はタシケントにあり、こちらは馬に跨った像で侵攻する様を表し、最後の一体はサマルカンドにある座像で王位について国を守る様を表しているとか。
このティムール像と宮殿の正門を重ねた写真が巻頭にある写真です。
建物は分かったのですが、入口が見つかりませんでした。結局一周して北側にやっと見つけることが出来ました。
丁度下校時?この左側は一般道で多くの生徒が歩いていました。
丁度サマルカンドやタシケントの部分に光が当たって見えにくいのが残念です。
東は中国の新疆ウイグル自治区や内蒙古自治区迄、南はインド北部、パキスタン、西はカスピ海、黒海迄、北はカザフスタンの南部までと大帝国になっていました。
写真はティムールの座るべきだった王座の模型?
展示室の半分以上が停電なのか照明がなく真っ暗で何も見えませんでした。
料金を半分返して欲しいくらい残念なミュージアムでした。
左手には新しく建てられたと思われるショップ、レストランやホテルなどが入ったコンプレックスが並んでいます。
遺跡を見に来ている筈ですが、敷地内に現代が主張しているのには、個人的意見ですがちょっと興ざめ。
南に向かって左右に遺跡があり、右がドルッティロヴァット建築群で左側にドルッサオダット建築群があります。
こちらが右側(西側)にあるドルッティロヴァット建築群の入口です。門の右手のチケット・カウンターでチケットを買って入場。
ドルッティロヴァット建築群はウルグ・ベクによって1435年から2年間で建てられました。
一つのモスクと2つの廟があります。
幾つもの異なったデザインの絵が組み合わされているのは、他で類を見ない装飾方方法です。
淡い色調で落ち着いた感じが出ています。
右側はウルグ・ベクが自分の子孫のために建てたグンバズィ・サイーダン廟です。
左側はティムールが父親とその師の為に建てたジャムスディン・クラル廟です。
4つの石棺が並んでいます。
左手を負傷中の私は早速トライと思いましたが、水は有りません。仕方なく触るだけにしました。
写真の奥に見えるように茶碗をおいて有ると言う事は本当に水が溜まるのでしょうか。
この時右手で触ったのが間違いだったかな。左手触ればもっと早く治っていたかも???
こちらには2つの石棺が有るはずですが、一つだけでした。
ティムールの父親はどうやらこの石棺の下の方に埋葬されているらしい。
因みに上はティムールの精神的指導者だったクリャラ首長が埋葬されています。
写真は門の横にあるミナレットです。
次は最後のスポットのドルッサオダット建築群に向かいました。門を出て右に曲がり100m程行った所にあります。
こちらにはモスクとティムールが眠るはずだった部屋があります。
こちらも有料で同じ料金です。
ドルス・シアダットとは「権力の容器とか威力のハウス」と言う事です。
今残っているのは北側の一部で、この南に宮殿の正門と比べられるくらいの玄関があったそうです。
ティムールの為の納骨堂になるはずだったところはこの門から地下に降りたところにあります。
サマルカンドのグル・アミールと比べると淋しいものですね。
こちらにはまだ元のタイルの装飾が少し残っています。
信者以外は入れませんでした。
先ずドルッティロヴァット(ドルス・ティリャヴァット)建築群に向かいます。
こちらから見ると青いドームが周りの緑に調和して美しい。
右奥の車が私たちの車です。
ここから一旦南に向かい、町の中へ。
ATMの前で停めてもらいキャッシュをゲット。
さすがにお腹が空いてきたので、帰路にある峠のシャシリクのレストランへ向かいました。
出発して1時間ほどで到着。
シャシリクは羊肉を串に刺して焼いたものですが、スフロブさんが頼んでくれたのはタンジールで焼いたケバブでした。
3人で600g頼みました。通常は1人300gは食べるそうです。
左奥がケバブ、右がトマトのサラダ、手前が巨大なナンです。
スフロブさんと記念写真。
食後、少年が売りに来た羊の乳のアイスクリームを頂きました。
アイスを入れて計205kスム、約2,600円でした。
ケバブは少し脂身が有ったけどおいしかった。ナンは大きすぎて食べきれず後で食べようと思い持ち帰り。結局KL迄持って帰りました。1週間ぐらい後でしたが問題なく食べられました。
レストランから外階段で2階分ぐらい降りたところにありました。
この釜1つで羊4頭分の肉が焼けるそうです。
ソーセージなども一緒に焼いていました。
釜には写真の様な肉が何本も入っていました。
サマルカンド迄一気に下ってきました。約1時間でレギスタン広場に到着です。
この続きはサマルカンド観光 後編2でお伝えします。












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