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| ティムールが眠るグル・アミール |
シャーヒズィンダの霊廟群を後にして、近くにあるウルグベク天文台に向かいました。
天文台へ上がる階段の手前にあるウルグ・ベクの座像の前で記念写真。
今回の旅行中、度々出て来るこの名前。アムール・ティムールの孫で、1394年に生まれたティムール朝の4代目君主です。
天文学者・数学者・文人としてもすぐれていました。
学者や文人の保護者で、君主での業績より学者としての方が高く評価されているそうです。
特に天文学に秀でていました。階段を上った丘の上に彼が建てた天文台の跡があります。
1420年に完成した天文台を使って作られた天文表は、精度が高く17世紀にケプラーが出てくるまで最も重要視されていたそうです。
写真は天文台の円形の台座と地下にある遺跡を守るために建てられた覆いです。
ウルグ・ベクの死後1449年に大部分が破壊され、1908年まで土に埋もれていた物をロシアの考古学者が発掘しました。左の写真は巨大六分儀の下半分の遺跡です。ほとんどが地下になっています。
この六分儀を使って星を観測し、太陽年を365日5時間49分15秒秒と決定しました。実際値より+25秒の誤差でした。因みにコペルニクスは+30秒の誤差でした。
赤道傾斜角(地球の傾き)は23.25度とし、これもコペルニクスより正確で、現在に至るまで最も正確な値だそうです。
望遠鏡も使わずこの正確な観測には驚かされます。
この遺跡の反対側に博物館が有ってウルグ・ベクの功績が展示されています。写真は天文台の原型を想像したものです。
ウルグ・ベクと一緒にコペルニクスやケプラーなども描かれています。
ダレルさんの良く知っているお店に行きました。
彼が車を停める場所を捜している間、店の前で待っていたのですが、タンディール(焼き釜)で焼いているサムサの匂いにお腹が鳴ってしまいました。
釜はこの人の奥に一部見えています。
早速ダレルさんに表で売っていたサムサを頼んでもらいました。
レストランにに持って来てくれるんですね。
焼きたてで香ばしくとても美味でした。
その他はトマトやひよこ豆。
その他ビーフの炒め物を食べました。
一寸洋風?
飲み物を含んで158kスム、約2,000円でした。
ランチ後、レストランから裏道を抜けて狭い路地で車を降りました。その先はタシケント通りと呼ばれ、観光客で賑わう通りです。
右折して直ぐ右側がイカット・ブティック・カフェ&レストランで、今回の現地ツアーでお世話になったSRP社がオーナーです。社長の盛井さんにお会いしてこの日の朝の病院の手配のお礼をしたかったのですが、改装中で閉店していました。
この先の左手に大きなモスクが見えてきました。写真下部の人間の大きさと比べると、いかに巨大な建造物なのか分かります。
これははモスクへ入る門です。
ここが1404年にティムールの命により建てられたティムール帝国の大聖堂モスク、ビビハニム・モスクです。
因みにビビハニムはティムールの最愛の王妃の名前です。
今度は正面に向かって左手前からワイドで撮ってみました。奥に右半分が見えるイーワン(アーチ型のゲート)が礼拝堂のある建物です。
この世界最大級のモスクは熟練職人200人、労働者500人以上と95頭の象が使われ5年で完成したそうです。
門をくぐると広場の先に2つのドームと4隅にあるミナレット(?)、そしてモスクがあります。展示されていたパネルですが、左上の写真が当時の全体図です。
現在は、2つ上の写真のように門の上部は壊されて無くなっています。左右に窓が3つあった物が、現在は2つしか残っていません。と言う事は、ほゞ上半分が無くなっています。
門を入ると広場の向こうに大きな建物があります。この場所はレギスタン広場を挟んで丁度反対側の西南に位置します。
グル・アミールは「支配者の墓」という意味です。
因みにアミールはイスラム教の指導者、ティムールは鉄人と言う意味です。
上の写真は駐車場辺りから写したものです。もっと寄ってみましょう。
イーワン(アーチ型のゲート)の天井の立体装飾の精緻さには驚かされました。ブハラやシャーヒズィンダの霊廟にも美しい物は有りましたがこの細工は初めて見ました。
これはムカルナス様式と呼ばれるそうです。
ゲートの奥に霊廟が見えています。
イーワンを抜けると広場になっていて、その向こうに写真の様な霊廟が有ります。
この壮麗なイスラム建築はその後のイスラム世界の建築物に大きな影響を与えたそうです。
後に造られたタージ・マハールなどもその影響が有ったと言われています。
この廟には3㎏の黄金が使われているそうです。中央の黒く見えるのがティムールの石棺です。
石棺の中には何も入っていません。
実際のお墓は地下3mのところにあります。
スターリンはティムールに憧れていて、考古学者にティムールの遺骨をロシアに運ぶよう指示しました。
考古学者たちが持ち帰ろうとしたとき、ここにいた3人の老人がたたりがあることを告げました。
その結果ロシアはナチスの侵攻を受けてしまいました。さらなる不運を避けるため1年後遺体を元の場所に返還しました。その後ロシアはナチスを打ち破ることに成功したそうです。考古学者たちはその3人の老人を捜しましたが見つかりませんでした。
この後本来ならレギスタン広場の見学が予定されていたのですが、前夜既に行っているし、わたしの体調も心配なのでこの日のツアーは終了とし、ホテルに送ってもらいました。
2時間ほどホテルでまったりした後、妻はやはりもっとレギスタン広場を見たいという事なので、ATMでスムを少し入手したい私も一緒に出掛けました。
今日もチケット売り場には多くの観光客が並んでいました。ATMは広場の正面の道路の反対側にあるショップの前にありました。(広場脇にも有ったのですがうまく作動しませんでした。)
夕陽を浴びるレギスタン広場です。
それでも時間が早かった為か何とか席を確保できました。
青いドームはレギスタン広場の三つのメドレセの内中央にあるティラカリ・メドレセのドームです。
結局耐えきれずスタッフにブランケットを頼みました。見ていると結局多くのお客がブランケットを使用することに。
奥の男性は肩から羽織っています。
この寒さの中、オーダーした物が30分以上出て来ない。マネージャーの様な女性に催促してやっと出てきました。ブハラのプロフと同様お腹がすきすぎて料理の写真は撮り忘れ。今夜はチュチワラ、ラグマン、カザン・ケバブとお茶でした。左の小さいお椀がチュチワラ、真ん中がラグマン、右側がカザン・ケバブ(ラム肉とポテト)です。
値段は344kスム、約4400円でした。さすが観光地と言う値段でした。
ホテルまでは歩いて5分。寒いので急いで帰りました。翌日はティムールの生誕地で世界遺産のシャフリサーブスに行きます。そちらは次の回にします。











































