2017年9月25日月曜日

ラオス ルアンパバーン4泊5日の旅 最終回

今回は第4日目と最終日です。チョット長くなりますがご辛抱ください。

第4日目
前回少しゆっくりしすぎたので、4日目の朝は5時半前に起きました。5時45分、まだうす暗い早朝の道をクンスワー通りに向かいました。
まだ僧侶たちの姿は見えず、お供えをする人たちもまばらだったので少しこの通りを進んでみました。2ブロック位行ったところで最初の僧たちの列が見えてきました。
しかし暗過ぎてうまく写真が取れません。
ここは諦め先日の場所へ戻って待つことに。







カメラをレンズの明るい方に変えて取ることにしました。

これで何とかピントのずれも少なくなりました。

後ろの方にも続々と僧侶たちがやってきます。







この写真の先頭の小さな僧は目一杯のお菓子を頂いていました。
手前の椅子には先日は小さな男の子が座っていて、逆に僧たちから分け前(?)をもらっていましたが、この日はついに現れませんでした。


写真は先日の物ですが、その子が、籠一杯のお供え物を持っているのが分かりますね。

こちらの写真の方が、若い僧たちが沢山のお供えをもらっているのが分かりますね。



中には立ち止まってお供えを下さる人と会話をしている僧侶も。

私が写真を撮っている場所はワット・シェーントンと言うお寺の西口前で三差路になっています。







ここで一部の僧侶たちは左折して川沿いに出、船に乗って川向こうに帰ります。また一部は直進してワット・シェーントンに帰ります。しかし殆どの僧は右折しサッカリン通りに出て、通りに面しているそれぞれの寺に帰るようです。勿論サッカリン通りでも托鉢は続けられるのでそちらの方が沢山の観光客が出ているようです。

写真はサッカリン通りに向かう僧たちです。




この日の朝食はアジアンテーストの麺(ベトナム料理のフォーの様なもの)にしました。

勿論この他にもいつものように卵料理なども頼んだので、チョット食べ過ぎの感が大でした。
でもこの日はサイクリングを予定していたので、このくらいは消化されることを期待。






9時前にホテルの自転車を借りてまず最初に向かったのが、メコン川の支流のナムカーン川の対岸にある、織物工房などが集まっているバーン・サーンコーンとバーン・シェンレックと言う村です。途中一方通行を逆走したりしましたが、何とかナムカーン川を渡るバイクと自転車専用橋に到着。
橋の上に惹かれた板の上を走るのですが、慣れない私は落ちそうで右に左にヨレヨレでした。
橋の両側に歩道があります。

道は途中から未舗装となり石がゴロゴロしていて走りにくい上に、坂も多少あって無変速のママチャリでは結構きつい。

下り坂を快調に飛ばす私の後ろ姿。しまなみ海道で購入したサイクリングをデザインしたTシャツの背中には「島走中」と書いてあります。(ここでは関係ありませんね。)



20分位で村に到着。このような工房も兼ねたシルクショップが十数軒ありました。











こちらのお店は街のサッカリン通りにもお店を出している高級シルクのショップ「ラーオ・テキスタイル・ナチュラル・ダイズ」というお店で、小物の他インテリア製品が充実していました。









この村のもう一つの製品は紙製品です。写真のように手漉きの紙です。
本物の花や葉を漉きこんだ紙です。








一番奥まで行ったところにある「Simone Saa Handcraft」と言うショップでお土産を購入(小さい写真はその一部)。ここで日本人の団体に遭遇。我孫子から来た方達でした。










30分程工房巡りをして街に戻ることに。写真は村の一番街に近いところにあったショップ。向こうにはメコン川が見えています。

まるで時間が止まっているよう。こんなところでゆっくり布を物色してみるのもいいかな?







ナムカーン川の橋を再度渡り返し、直ぐ近くに在るワット・ビスンナラート、別名ワット・マークモー(スイカ寺)へ。写真がその本堂。
入り口近くに自転車を停めたらここは駐輪禁止だから裏へ回れとのこと。寺の横の道を入ったら、そこは別のワット・アームと言うお寺。ワット・ビスンへ抜けられるので、その門の横の売店で自転車を置いて良いかと尋ねたところ、チケットが必要との事。1人20,000Kip(266円)を払ってワット・ビスンへ。ところが本堂に入ろうとしたら、もう一度20,000Kipでチケットを買うことに。なんと最初に買ったチケットは隣のワット・アームの物でした。結局訪れる予定ではなかったワット・アームも拝観することに。高い駐輪代になりました。
写真はスイカ寺の名前の元になった仏塔タート・パトゥムです。

この仏塔は本堂に正対して建っています。1500年代、ビスンナラート王の時代には本堂もこの仏堂も30mを超す高さが在ったそうです。1914年に大雨で壊されてしまい、現在の物は1932年に改築されたそうです。





ここからはプーシーの丘の裏側(?、メコン川に面しているのが表とすると)が良く見えます。
チョットふざけて撮ってみました。

妻の手の上に乗るタート・チョムシーです。














こちらは本堂内部の仏像です。
ルアン・パバーンではこのようにご本尊の周りに数多くの仏像が並べられているお寺が殆どの様です。


右の写真はガイドブック「地球の歩き方」の紹介写真と同じ角度から撮ってみたものです。




折角自転車を停めるためにチケットを買ってしまったので、隣のお寺、ワット・アームにもよってみました。

こちらがその本堂です。












本堂内部の壁には番号が打たれた宗教画がぎっしりと描かれていました。









入って左側はお釈迦様が生まれる前から仏になるまでが六十数枚にわたって描かれ、反対側には写真の様なリアルな地獄絵図が描かれていました。








暑さで相当疲れたので、この近くのナムカーン川に面したところにある「ユートピア」というカフェで休憩。ガイドブックでも紹介されていますが、川を望むテラスには座椅子が並べられていて、じっくり読書などをしながら過ごせるため、欧米人に人気らしいです。

私はここでビールとポテトチップス、妻はミックスジュースを頼みしばし休憩です。


遠くには先ほど渡った橋が見えます。

部屋の中もゆったりできるようになっています。











このような住宅街を入って行った奥にありました。












1時間ほどここでまったりした後次の目的地ワット・マノーロム(ワット・マノー)に向かいました。
ここの本堂内部の壁画が有名だそうですが、扉が閉じられていました。ガイドブックには書いていませんでしたが昼休みかな?
因みにここは拝観料はないそうです。







手前に見えるのが懺悔小屋で、その奥の金色の仏塔は首都ビエンチャンのシンボル、タート・ルアンとを模して造られたものだそうです。










次はここから少し西に行ったところにあるワット・タート・ルアンへ。上に紹介したビエンチャンの仏塔と同じ名前ですが、関係は分かりません。

ここではアンコール遺跡群で良く見掛かられたナーガ(不死のシンボルとされる蛇神)が多く見られました。

写真の物は頭部が少し違うようです。




ここは王室の火葬場としても使用され最後の王シーサーワンウォン(街のメーンストリートに名前が付けられている)がここで火葬され遺灰が、写真の金色の仏塔に埋葬されているそうです。本堂の前に建てられています。








こちらは本堂の裏手の仏塔を守っているナーガです。左手が本堂ですがここも扉が閉まっていました。










次に本日の最後の目的地、ワット・パバートタイに向かいました。ベトナム様式の寺院で焼失してしまったものを在住ベトナム人と中国人の働きかけで再建されたそうです。このお寺はガイドブックにも12時から午後2時までは休みとなっていました。







ホテルに帰る途中2日目にランチしたベーカリーでアイスクリームを食べていたら、白バイの先導でパレードが。そういえばここまでの間、通りのあちこちに人が固まっていたので、何だろうとは思っていたのですが。








先頭が見えてきたと思ったら、突然前のお寺が太鼓をたたき始めました。お葬式かと思っていたらなんと自転車チームの凱旋パレードでした。8月末にクアラルンプールで行われていた東南アジアゲーム(SEA Games)での入賞かなと思っていたのですが、ラオスチームは大した成績ではなかったし。おそらく国内大会でルアン・パバーンチームが優勝したのかなと推測しました。




パレードの中に知人がいるのか、皆さん手を振っていました。
お坊さんたちも出てきてスマホで写真を撮っていました。










パレードが行き過ぎたのでホテルへ向かいましたが、天気もよかったので明日行く予定だったホテルの隣のワット・シェーントーンへお参りすることにしました。自転車は境内に入ったところにあるチケット売り場の前の日陰に置かせてくれました。

この寺院はルアンパバーンのシンボルとなっていて、その姿はラオスの全ての寺院の中でも最高級の美しさを誇っているそうです。(地球の歩き方より)

これが本堂です。屋根に特徴があり、ルアンパバーン様式と呼ばれているそうです。










本堂内です。他の寺院を比べて天井や壁も美しく上品さを感じました。



黒地の壁面に金色で描かれた仏画です。






本堂の右奥に金色に輝く建物が霊柩車庫。午前中に訪れたワット・タート・ルアンで火葬された最後の王シーサワンウォンの葬儀で使われた霊柩車が納められていました。


右の写真がが霊柩車です。





もう一つ有名なのがレッド・チャペル(赤堂)と呼ばれている祠です。本堂の壁と同様にモザイク画で飾られています。この地方に言い伝えられ得ている30以上の物語がモチーフとなっています。
ホテルの部屋にそれらの絵と物語を説明した絵本が置いてありました。空港のブックストアで探したのですが、置いてありませんでした。残念。






右上に家の中の男女とその外に女性が座っている絵があります。これは一人の妻が財産を得るためにもう一人の妻を殺します。恨みを持ったまま死んだその女が今度は猫に生まれ変わり、やがて死んだもう一人の妻が鶏に生まれ変わり卵を産んだところ、すべての卵を猫が食べてしまいます。その鶏が今度はトラに。猫は鹿となり、トラに殺されてしまいます。今度は鹿が・・・・と言うふうに続いて行きます。恨みを抱かれるとやがて自分にも報いが来ると言うことを説いています。





こちらがその本の一部です。






写真の本堂の壁面に描かれているモザイク画の木はマイ・トーン(黄金の木)と呼ばれかってここに在った160mの大樹をモチーフにしているそうです。


ホテルに戻って少し休憩して、今回最後の目的のプーシーの丘へ夕陽を見に行くことにしました。ところがなんと3時過ぎから嫌な風が吹き始めました。クアラルンプールではこんな風が吹くと決まってスコールが来ます。
案の定、黒い雲が空を覆い始め5時前から豪雨に。


残念ながらプーシーの丘からの夕陽は断念となりました。雨が上がった7時前に予定していた夕食へ。今夜は最後なので豪華にフランス料理。ガイドブックにも紹介されている「エレファント」というお店。


ニュージランド牛のステーキにワイン。2人でチップを入れて100US$でした。


3日間の夕食の総計より高い!最後の夜はこうして贅沢に過ぎていきました。

最終日(第5日目)
朝食をとっていたらこのホテルのオーナーのUrban Paulsson氏が挨拶に来てくれました。気さくな方でした。

ところが部屋に戻って10分程したらなんと急に停電。水も出ないのでトイレにも行けない。

とにかく荷造りをして、後電気が回復するまで風通しの良い廊下で読書。










11時頃やっと電気が戻ったので、洗面・トイレを済まし昼食を兼ねて自転車でサッカリン通りに。
郵便局が夕方しか開いてなかったり、ホテルにも切手を置いてなく、はがきが出せなかったのですが、こうしたお土産屋さんで切手を売っていることを発見。おまけにEMSの空き箱を利用した簡易ポストがこの店には置いてあり、絵葉書を出すことが出来ました。但し無事宛先に届くかどうかは不明です。
写真に赤丸を付けましたが「Stamps are availbale here 」(日本語で切手ありますの意味)と書いた紙が貼ってありました。

昼食は通りに面した「カフェ・バーンワットセーン」と言う、昨夜のフレンチの姉妹店に行きました。
写真の右側の建物がそのレストラン。2階席もありますが私達は1階で。








ここではフレンチではなく、ローカルフードのセットとフォーを食べました。


ビールなども合わせて145,000Kip(1,929円)でした。





ホテルに戻りチェックアウト後空港へ。
ロビーに売店が有ったのでお土産を少し買いました。でも慌てる必要がなく、出国審査後の待合室に沢山の売店がありました。食事もとることが出来ます。国際便の待合室は2階でした。

写真の待合室は1階で、2階はもっと広く売店も多数あります。






フライト時間が前日変更になり、その上当日も遅延でKLIA2に到着したのは午後9時でした。
これでルアンパバーン編は終了です。
ゆったり過ごすのもよし、トレッキングやサイクリングの様なアクティビティーを楽しむのもよし、歴史を振り返るのもよし、手軽な値段でのマッサージやスパで心身を蘇らせるのもよし、美味しい料理を堪能したり、料理教室に通ってみたりするのもよし。ここでは色々な過ごし方ができると思いますが、とりあえず自分はどうしてラオスを尋ねるのかを決めてから行くことをお勧めします。