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ケチカン・クリーク・ストリートの水上ハウス |
バンクーバーを6月7日に出港し、6月12日の午前に最後の寄港地ケチカンに到着です。
朝7時半、ベッドサイドから見た景色。
プリンスオブウェールズ島の一部と思われます。
この日はビュッフェでの昼食を食べるLido Marketではなく、夕食をとるDining Roomで朝食。
何と和式のサーモン弁当が有りました。
サーモンの隣はペラペラの卵焼き。
妻によればサーモン以外はがっかりの味だったそうです。
こちらは私のオーダーしたエッグ・ベネディクトです。
それとお粥。
エッグベネディクトはボリュームがたっぷりでした。お粥が美味しかったので、こちらだけでも良かったかな。
朝食を終えてデッキに出てみると、船は既にケチカンのある海峡に入っていました。
郊外の住居地がチラホラ見えてきました。
いい感じの邸宅が並んでいました。
午前10時、前方にケチカン港が見えてきました。
ケチカンはアラスカ州で第4番目に大きな町ですが、中心部の人口は8千人強しかいません。
雲が暑い日が多く「アラスカの雨の首都」と言うニックネームが付けられています。
果たしてこの日はどうでしょうか。
この町には沢山の白頭鷲(Bald Eagle)がいて、市のマークもこの白頭鷲が描かれています。
空から早速のお出迎えです。
こちらが前出の市章(市のロゴ)です。
予定では午前11時着でしたが10時過ぎに着岸準備に入りました。
部屋のテレビで着岸するのを確認。
先にプリンセス・クルーズのロイヤルプリンセス号が着岸していました。
私達の船はこの前に着岸するようです。
私達はこの日はツアーの予定は入れていません。ランチも船内ではなく、外でカニを食べることにしていました。
12時少し過ぎに下船。
下船口をGang Wayと言います。
この先でカードを読み取らせて本人確認と下船の記録がされます。帰船時には保安検査が有ります。
下船の風景も見慣れてきました?
この2隻の他にもプリンセス・クルーズのサファイア・プリンセス号とホーランド・アメリカのユーロダム号も停泊していました。
ケチカンはアラスカ・クルーズの殆どの船が寄港するのでいつも賑わっているようです。
下船して町に向かう私達を、最初に迎えてくれるのが市のシンボルになっている白頭鷲の像。杉材でできているこの鷲は、別名「雷鳴の翼(Thundering Wings)」と呼ばれ、トリンギット族の彫刻家によって彫られました。
トリンギット語でkeech=wing, ka=spread, xa haan=over, つまり翼を上に広げると言う言葉がケチカンの由来とされています。
しかし諸説あって、入江の形が翼を上げた鷲の形に似ているからと言う説も有ります。
鷲の像の奥に見えるトンネルは、長さは80mほどしかありません。このトンネルが出来て海産物産業(主にサーモンとhalibut=オヒョウ冷凍等)が発展したそうです。
このトンネルは1954年に一度大崩落したようです。上の家々はよく持ったものですね。
良く見ると左の写真のトンネルの上の家と、上の写真の同じ場所にある家は、色調こそ分かりませんが外観は全く同じです。70年前の家がいまだに現役なのですね。
この白頭鷲の像からトンネルと反対側へ、フロントストリートを進むと町の中心部です。
右手に多くの観光客が集まっていたのがこの記念碑の周りでした。
「The Rock」と言う名前が付いていました。
この記念碑はこの地を最初に故郷とした人々を表す7人の職業などを紹介しています。
最上部がトリンギット族のガーナクサディ族の酋長で、人々がやって来るのを歓迎しています。
下部には先住民の太鼓奏者、この地にやって来た漁師、鉱夫、開拓者の女性、木こり、ブッシュパイロットがいます。
この記念碑の向こう側がWelcome Alaska 1'st City、Ketchikan、The Salmon Capital of the Worldと書かれたゲートがあるミッション・ストリートです。
反対側を見ると、クラシック調な観光バスが停まっていました。
こちらはThe Rockの隣にあるビジターセンター前に建つ、ケチカンの降雨量を示すタワーです。
1949年には202インチ、約5mの年間降雨量を記録しています。
Salmon loves the rainと書かれているのも面白いですね。前にも触れましたが、カナディアンロッキーに海からの気流が阻まれ、アラスカのこの辺りに大量の雨をもたらします。
この雨が森林を育て、ミネラルを多く含んだ水が流れ込み豊かな海を作り出します。豊富な木材と海産物を生み出す恵みの雨です。
お土産屋さんの並ぶフロントストリートを突き当り迄進みました。
漁港です。この辺りにシーフード・レストランが集まっています。
この日の目的はキングクラブ(タラバガニ科)です。口コミで評判の良かった写真のレストランへ行きました。
残念ながらこの季節はキングクラブは休漁です。
この町で食べるには冬に来るしかなさそうです。
なので今獲れるダンジネス・クラブ(アメリカ・イチョウガニ)になってしまいました。
ハーフポンドで$29、約3,000円でした。その他クラムチャウダー、フィッシュ&チップス、そしてビールで計$70程、約1万円。
女性陣はビールで乾杯。妻は飲めないので私のビールで格好つけ。
カニはやはり日本の方が美味しい。でもビールがうまければそれでいいか!?
ここでT夫妻と別れ、わたし達はW夫妻とでケチカンを代表する名所のクリークストリートへ。
この回の冒頭に載せた写真の場所です。
この川の上に建つ家々は1950年代までは成功した女性たちが商売をしていました。
ケチカンは南から来た成功を夢見る男たちが最初に留まる町でした。
多くの女性たちはそんな男性たちを狙って、バーや売春宿を経営していました。
ところが1950年代に売春が禁止され、廃れてしまったそうです。
今では男性ではなく女性の観光客に人気のあるかわいらしいショップになっています。
右の方は偶然に写ってしまいました。そのまま使わせて頂きました。ごめんなさい。
通りはこんな感じで両側に色んなショップが並んでいます。
おもしろい図案なので、食指が動いたのですがスーツケースの残りの容量を考え断念しました。
右手の丘の上にホテルが建っていて、ここからケーブルカーで上るようです。
このクリーク・ストリートで見ることが出来る野生の生物リストです。
空中にはアオサギ、白頭鷲、カワセミ、ハチドリ等。陸地にはクロクマや猫。川には種々のサーモン、アザラシ、カワウソなどがリストアップされています。
興味のある方は拡大してグーグル翻訳のカメラで見てみてください。
ちょっと白頭鷲が小さい?一番奥の家の屋根に止まっています。
クリーク・ストリートを南から北に抜けパーク・アヴェニューに突き当たりました。
ケチカン川を上流に向かって、閑静な住宅街の中を進みました。
清流と呼べるほど透き通った水が流れていて、鮭が遡上するのが分かる気がします。
少し行った所でパーク・アベニューはケチカン川を渡ります。
渡ってすぐに右に折れさらにケチカン川に沿って歩くと、写真の橋に出ました。
奥に見えるのが、目的地のトーテム・ヘリテージ・センターです。
入場券を買って奥の建物に入ります。
シニアーは5ドルでした。
中はそれほど広くないのですが、中央に5本の19世紀のトーテムポールが展示されていました。
トーテムポールは赤杉の木で作られていて、個々のグループの紋章だそうです。動物や神話の生物、各グループの歴史や起源を象徴しています。
それぞれのトーテムポールには名前が付けられています。
例えばこれは上の写真の右奥の物ですが、クリンギット記念柱と呼ばれ、一番上にヒグマ、その下にシャチが下に向かって泳いでいます。下の方の2つの楕円は目です。その上の背ビレや胸ビレがあります。
その尻尾に人間の顔が描かれています。人間はシャチの世界を見ていて、尻尾がこの動物のパワーの中心であることを表してるそうです。
大きなトーテムポールと記念撮影。
人と並ぶと大きさが分かりますね。
午後2時を過ぎたので港の方に向かいました。
このヘリテージ・センターの周りは閑静な住宅地です。
海に向かってのかなりの坂道で、多くの住宅はかなりの傾斜地に建っていました。
クルーズ船の大きさが半端ではないですね。
今度はこの通りに入らず左側の通りをケチカン川に沿って歩きます。この先にはトンガス歴史博物館が有ります。
ここでお土産を買いに行くW夫妻と別れ私たちはもう少し町の散策をしました。
途中にあった「Araska Crepe Co」と言うクレープ屋さんのメニューです。結構混んでいました。
グーグル・マップの評価4.6でかなりの高評価でしたが、お腹がいっぱいの私たちはスキップ。
クリーク・ストリートの途中に入って行く橋の前です。
殆どの、と言うか全ての観光客はクルーズ船の乗客です。
上の写真の手前に建つジョンソン酋長のトーテムポールです。
ジョンソン酋長はThe Rockの記念碑の中央に立っていて移住者たちを歓迎していた方です。
ここからミッション・ストリートを散策し、ネットで評判の良かったサーモン製品を販売しているお店に向かいました。
SALMON ETC.と言うお店です。
ここで何種類かのサーモンの加工品をお土産として購入しました。
船に向かう前に、写真の真ん中辺りの水色のお店「Alska Coffee」でコーヒータイム。
椅子が2席しかないテークアウト専門店。
でも店内は結構洒落ていました。私達がコーヒーを飲んでいる間に、店内で飲む人は皆無でした。
年寄りは歩いた後は座ってコーヒー、が欠かせない?
右手の方には白頭鷲の像とトンネルも見えています。
トンネルの入口は丁度写真の右端辺り。
出口は海辺の建物の左端に見えています。
たったこれだけの距離(80m)で不便を強いられていたのですね。海の側には平地が少ない事が理解できます。
午後6時半出港です。その前に白頭鷲が見送りに来てくれました。
この日の深夜から時計が1時間戻ります。前日までの午前7時は、この日から午前8時になります。
見渡す限り海と空です。
下船しないので、運動不足を解消するため船のウオーキング。トラックを歩きました。
3周で1マイル、つまり1周約500mです。
ここでキャビン内での役立ち情報を一つ。キャビンの壁は内側は鉄製なのでマグネットがくっつきます。
出発前、クルーズのプロのブログで見つけたので妻は写真の様なマグネットをいくつか持って来ました。
目的は洗濯物干しです。デッキでも干せるのですが夜は夜露や雨が心配なので部屋干しにしました。
勿論干す前にはある程度の水を切って、水滴は落ちないようにします。
こうして天井に吊るしておくと、部屋の乾燥も防げます。
壁に付けて小物を掛けておくのにも使えます。
洗濯に関してその他に必要なのは、小さめの選択パンチ、ベランダなどで椅子から椅子に掛けるロープ、そしてプラスティックハンガー等です。勿論洗剤もですが。
劇場を覗いたらアラスカのワイルドライフの紹介をしていました。
ラッコの集団。3頭並んでとっても愛くるしい。こんな写真が撮りたかった。
右端が白頭鷲です。
この日のランチはプールサイドで。外は快晴。プールサイドはかなり暑い。
私達のオーダーしたハンバーガーとホットドッグ。勿論無料です。
食後ビュッフェの方を覗いてみたら、”Cake Me Away”と言うプロモーションをやっていました。
私達日本人にはちょっと近寄りがたい凄まじさでした。派手、大きい、めちゃくちゃ甘そう!
外に出ると、左舷に小さな島と遠くの陸地が見えていました。
どのクルーズ船にも大抵は有るシャッフルボードが空いていたので2人でプレイしました。
コートの反対側にある得点圏(ダイアグラム)に向かって、円盤(ディスク)をキューと呼ばれるステ
ィックで押し進め、得点を競うゲームです。
距離感がつかめるまでなかなか難しいのですが、結構楽しい。
次は船の反対側でビーンバッグ投げゲームをしました。こちらも殆どのクルーズ船にあります。豆の入った10㎝四方位の袋を、反対側にあるボードに開いた穴に入れるゲームです。こちらは単純ですが、バッグより少し大きいだけの穴に入れるのは至難の業です。
しかし暑かった。前日はダウンを着ていたのに。写真を撮った時点でこのゲームをしていた男性は短パン、Tシャツです。
デッキを歩いていたら、たまたまT夫妻が自室のバルコニーに居て私達に手を振ってくれました。私達の隣の部屋のT夫妻の部屋のバルコニーはこんな感じです。
因みに私達の部屋は4階で、ウオーキングできるように周回しているこのデッキは3階に有ります。
両岸が近くなり、インサイド・パッセージに入ったのを実感できます。
この辺りではシャチが見られるとのことで、ずーっと海を見てましたが、遭遇することは有りませんでした。ガッカリ。
アッ、シャチだと思ったら漂流しているただの丸太でした。紛らわしい!
部屋に戻って荷造り開始。私達は荷物を降ろしてもらうので、今夜11時までにドアの外に出さなければなりません。自分で持って下船する場合は不要です。
夕食前にサービスカウンターで、下船時間帯ごとに異なる色のタグをもらいました。同時に出国用書類を記入。
私達はグリーンの1番で午前9時半の組です。
夕食後、かなり後ろにいたプリンセスの船がかなり近づいてきていました。
サービスカウンターに行って清算を済ませました。今回はクレジットカードの海外使用で、支払いを止められてしまったカードが有りとても不便な思いをしました。
安全性を重視するのは分かりますが、大きなクルーズラインや、Amtrackではねてしまうのはやりすぎでは?
午後10時過ぎです。船尾方向が夕焼けで赤く燃えていました。
10時半に荷物をドアの外へ。
翌朝バンクーバー到着予定の7時より前に起きましたが、船は既に着岸していました。
朝食を済ませ、下船を待ちました。
荷物を持って下船するW夫妻とT夫妻とは朝食のレストランでお別れです。
彼らは下船後カルガリーに飛び、カナディアンロッキーへのドライブ旅が待っています。
私達は下船後タクシーで直接空港へ向かい、午後の便で成田に向かいました。
写真はアラスカの西北部上空からです。右上に写っている高い山は、トランプ大統領によって元の名前に戻された北米の最高峰マッキンレー山でしょうか。
長い間お付き合いいただきありがとうございました。同行者とお天気に恵まれ最高の船旅を楽しめました。
***アラスカクルーズ編 最終回でした。