少し遡りますが、エイプリルフールの日、すなわち4月1日に一泊二日でクアラルンプールから南へ150㎞ほど下ったところにあるマラッカと言う都市に行って来ました。マレー半島とインドネシアのスマトラ島を隔てるマラッカ海峡はこの街の名前から来ています。14世紀末期にマラッカ王国と
して栄えたマレーシア最古の都です。2008年にマレーシア北部に位置するペナンのジョージタウンとともに、その歴史的な街並みが世界遺産に登録されました。
午前8時前に家を出て、高速道路E2号線を南に走り2時間足らずで到着しました。今夜の宿の「赤道直下の」と言う意味のホテルエクアトリアルにチェックイン後、早速街を散策に。ホテルを出て右手に歩き、西洋風の建物(学校かな?)、独立宣言記念館を過ぎるとそこはサンチャゴ砦(写真左)。ポルトガルによって建造された東洋一の堅牢さを誇った砦も今はこの門が残るだけです。
そこから街を一望に見ようとマラッカタワーに向かったのですが、 なんと修理中で一週間ほど休館とのこと。がっかり。
軍事博物館と海洋博物館(写真右)の前を通り、この街のシンボルとも言えるオランダ広場に。
左の写真のキリスト教会やクイーンビクトリアの噴水そして時計台が取り巻くこの広場は、アジアではなく古のオランダの小さな町の広場に紛れ込んだかのようです。この広場前の道路を挟んだ西側にある旅行者用のインフォメーションセンターでは町の地図が手に入るほか、トイレの利用や汗まみれになった体を快適な空調の下でしばし冷やすこともできます。
またこの街の観光に利用されるトライショーは、昼間見ても相当派手ですが、夜は電飾一杯で一見の価値があります。オランダ広場には右の写真のようにたくさんのトライショーが客待ちをしています。
有名な民族博物館のスタイダス(左の写真)も修理中で休館だったので外から眺めながらセントポールの丘に登りました。オランダ広場裏の標高50mほどのこの丘から、マラッカタワーの休館で見損なった街の全貌を楽しむことができました。またこの丘には屋根の崩れ落ちたセントポール教会の壁が残っています(右の写真)。16世紀にポルトガルによって建てられた教会で、フランシスコ・ザビエルの遺体が一時安置されていたそうです。
また入り口には左の写真のように伝説の右手首のないザビエル像が立って街を見下ろしています。
風通しの良いこの教会跡で、若者の歌を聴きながらしばし涼をとった後、丘を下りたのが丁度正午。
ガイドブックに紹介されていたジョンカーストリートの入り口にある和記鶏飯店へ。行列のできる人気店と言うことで早めのランチを取ることにしました。50年以上の歴史を持つこのお店の名物チキンライスボールランチを頼みました。ガイドブックでは4リンギット、約120円とのことでしたが、飲み物と野菜炒めを食べて2人で18リンギット、約550円ほどでした。確かに安い。味は、うーん、想像していた範囲かな?
プラナガンの大富豪の邸宅が博物館となったババ・ニョニャ・ヘリテージという博物館へ。なんとランチタイムで休館。今日はこれで3件目の休館。ババとは中国移民の男性、ニョニャとはババと結婚したマレー人女性。その子孫たちをプラナガンと言います。
ここのヒーレン・ストリートには左の写真のように成功したプラナガン達の豪邸が立ち並んでいます。このあたりの建物は京都や奈良の町家造りに感じが似ていて、間口より奥行きが長く途中中庭が配置されていたりして明かりを取り入れる工夫がされています。
右は何軒かある骨とう品店の時計売り場。一つ欲しいな。
歩き疲れてお茶にしようとこれもガイドブックに紹介されていたザ・バブーン・ハウスへ。なんとここも本日はお休み。もう一軒のジョンカー・デザートへ。ナ・ナ・ナ・ナ なんと、ここもお休みではありませんか。なんということでしょう。後でわかったのですが火曜日が定休日のお店が多いらしい。残念!
妻には甘いものは諦めてもらい、ジョンカー・ストリートのジェオグラフィー・カフェへ。地理学者たちのカフェという名前の謂れは分かりませんが、ここで私はきンキンに冷えたギネス・ビール。妻はプラムジュース(これが結構美味だったらしい)で喉を潤し、本日の観光の終盤へ。
まずセント・フランシスコ・ザビエル教会へ(左の写真はその内部)。ここは比較的新しく19世紀になってポルトガル人の子孫たちがザビエルの偉業をたたえて建てたそうです。右の写真のように入り口には日本での布教を手伝った「やじろう」の像がザビエルの像と並んで建っています。
この教会を出て道路を渡るとすぐ前にマラッカ川が流れていて、この川沿いに整備された遊歩道が午前中に通り過ぎた海洋博物館辺りからかなり上流まで続いています。遊覧船で周遊することも可能で、時間が合えば乗ってみる予定でしたが、今回は遊歩道を結構歩いたのでやめました。
川沿いにオランダ広場まで戻り、スルタン宮殿に向かいました。1396年に建国されたマラッカ王国の初代国王の王宮を復元したもので、高床立式の立派な木造建築です。内部は文化博物館となっており、当時の王室の暮らしぶりが分かるようになっています。
閉館時間ぎりぎりまでここで過ごし、いったんホテルに帰りました。少し休んで近くにある、これもガイドブックお勧めのオレ・サヤンというニョニャ料理の有名店へ夕食に。決して格式の高いレストランではなく、観光客より地元の仕事帰りのサラリーマンやOLがたくさん来ていました。ガイドブックの写真の料理を見せて同じものを注文しました。値段も手頃でおいしく頂きました。
ホテルはまずまずでしたが、夜中に深夜まで外で音楽と爆竹が鳴り続いていたのにはまいりましたが、第一日目は相当ハードな行程だったので、その騒音もやがては子守唄となってしまったようでした。
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