2014年5月28日水曜日

マラッカに行って来ましたーその1

少し遡りますが、エイプリルフールの日、すなわち4月1日に一泊二日でクアラルンプールから南へ150㎞ほど下ったところにあるマラッカと言う都市に行って来ました。マレー半島とインドネシアのスマトラ島を隔てるマラッカ海峡はこの街の名前から来ています。14世紀末期にマラッカ王国と
して栄えたマレーシア最古の都です。2008年にマレーシア北部に位置するペナンのジョージタウンとともに、その歴史的な街並みが世界遺産に登録されました。


午前8時前に家を出て、高速道路E2号線を南に走り2時間足らずで到着しました。今夜の宿の「赤道直下の」と言う意味のホテルエクアトリアルにチェックイン後、早速街を散策に。ホテルを出て右手に歩き、西洋風の建物(学校かな?)、独立宣言記念館を過ぎるとそこはサンチャゴ砦(写真左)。ポルトガルによって建造された東洋一の堅牢さを誇った砦も今はこの門が残るだけです。
そこから街を一望に見ようとマラッカタワーに向かったのですが、 なんと修理中で一週間ほど休館とのこと。がっかり。
軍事博物館と海洋博物館(写真右)の前を通り、この街のシンボルとも言えるオランダ広場に。
左の写真のキリスト教会やクイーンビクトリアの噴水そして時計台が取り巻くこの広場は、アジアではなく古のオランダの小さな町の広場に紛れ込んだかのようです。この広場前の道路を挟んだ西側にある旅行者用のインフォメーションセンターでは町の地図が手に入るほか、トイレの利用や汗まみれになった体を快適な空調の下でしばし冷やすこともできます。
またこの街の観光に利用されるトライショーは、昼間見ても相当派手ですが、夜は電飾一杯で一見の価値があります。オランダ広場には右の写真のようにたくさんのトライショーが客待ちをしています。

 有名な民族博物館のスタイダス(左の写真)も修理中で休館だったので外から眺めながらセントポールの丘に登りました。オランダ広場裏の標高50mほどのこの丘から、マラッカタワーの休館で見損なった街の全貌を楽しむことができました。またこの丘には屋根の崩れ落ちたセントポール教会の壁が残っています(右の写真)。16世紀にポルトガルによって建てられた教会で、フランシスコ・ザビエルの遺体が一時安置されていたそうです。
 また入り口には左の写真のように伝説の右手首のないザビエル像が立って街を見下ろしています。
風通しの良いこの教会跡で、若者の歌を聴きながらしばし涼をとった後、丘を下りたのが丁度正午。

ガイドブックに紹介されていたジョンカーストリートの入り口にある和記鶏飯店へ。行列のできる人気店と言うことで早めのランチを取ることにしました。50年以上の歴史を持つこのお店の名物チキンライスボールランチを頼みました。ガイドブックでは4リンギット、約120円とのことでしたが、飲み物と野菜炒めを食べて2人で18リンギット、約550円ほどでした。確かに安い。味は、うーん、想像していた範囲かな?
プラナガンの大富豪の邸宅が博物館となったババ・ニョニャ・ヘリテージという博物館へ。なんとランチタイムで休館。今日はこれで3件目の休館。ババとは中国移民の男性、ニョニャとはババと結婚したマレー人女性。その子孫たちをプラナガンと言います。
ここのヒーレン・ストリートには左の写真のように成功したプラナガン達の豪邸が立ち並んでいます。このあたりの建物は京都や奈良の町家造りに感じが似ていて、間口より奥行きが長く途中中庭が配置されていたりして明かりを取り入れる工夫がされています。
右は何軒かある骨とう品店の時計売り場。一つ欲しいな。
歩き疲れてお茶にしようとこれもガイドブックに紹介されていたザ・バブーン・ハウスへ。なんとここも本日はお休み。もう一軒のジョンカー・デザートへ。ナ・ナ・ナ・ナ なんと、ここもお休みではありませんか。なんということでしょう。後でわかったのですが火曜日が定休日のお店が多いらしい。残念!
妻には甘いものは諦めてもらい、ジョンカー・ストリートのジェオグラフィー・カフェへ。地理学者たちのカフェという名前の謂れは分かりませんが、ここで私はきンキンに冷えたギネス・ビール。妻はプラムジュース(これが結構美味だったらしい)で喉を潤し、本日の観光の終盤へ。

まずセント・フランシスコ・ザビエル教会へ(左の写真はその内部)。ここは比較的新しく19世紀になってポルトガル人の子孫たちがザビエルの偉業をたたえて建てたそうです。右の写真のように入り口には日本での布教を手伝った「やじろう」の像がザビエルの像と並んで建っています。
この教会を出て道路を渡るとすぐ前にマラッカ川が流れていて、この川沿いに整備された遊歩道が午前中に通り過ぎた海洋博物館辺りからかなり上流まで続いています。遊覧船で周遊することも可能で、時間が合えば乗ってみる予定でしたが、今回は遊歩道を結構歩いたのでやめました。
川沿いにオランダ広場まで戻り、スルタン宮殿に向かいました。1396年に建国されたマラッカ王国の初代国王の王宮を復元したもので、高床立式の立派な木造建築です。内部は文化博物館となっており、当時の王室の暮らしぶりが分かるようになっています。
閉館時間ぎりぎりまでここで過ごし、いったんホテルに帰りました。少し休んで近くにある、これもガイドブックお勧めのオレ・サヤンというニョニャ料理の有名店へ夕食に。決して格式の高いレストランではなく、観光客より地元の仕事帰りのサラリーマンやOLがたくさん来ていました。ガイドブックの写真の料理を見せて同じものを注文しました。値段も手頃でおいしく頂きました。
ホテルはまずまずでしたが、夜中に深夜まで外で音楽と爆竹が鳴り続いていたのにはまいりましたが、第一日目は相当ハードな行程だったので、その騒音もやがては子守唄となってしまったようでした。

2014年5月27日火曜日

マラッカに行って来ましたーその2

マラッカ2日目の4月2日、朝食後チェックアウトし、ガイドブックの地図の隅っこの方にあったポルトガル広場と言われるところに行ってみました。ところが海辺にあるこの広場は、オランダ広場とは大違い。歴史的建造物は全くなく、ガイドブックに詳しくは紹介されていない訳が納得させられました。大きな建物はホテルとカレッジだけ。
左の写真はそのカレッジ側から写したものですが、さびれた漁港と言った感じです。また右の写真はポルトガル広場と看板を掲げたゲートですが、中には小さな売店があるだけでした。カレッジの入り口にリスボンホテルと書かれていたので入ってみたのですが、ホテルらしきものはなく学生たちしか見かけませんでした。

早々に引き揚げ、昨日インフォメーションセンターで入手した英語の地図に載っていた、ストレイト・モスク、つまり海峡モスク(回教の間違えではありません、当たり前か?寒い冗談はやめてくれって言われそうです)へ行ってみました。当然海峡とはマラッカ海峡のことです。橋を渡ってマラッカの街の南にあるプラウ島へ。
島全体が開発中と言った生活感の全く感じられないその島の南端に超がつくほど近代的で立派なモスクが、天を突くような高いミナレットを従え、海上に張り出して建てられていました。靴を脱いでそのモスクの回廊を、打ち上げられた波しぶきで足が濡れるのを避けながら歩いていると、聞こえるのは波の音だけ。
しばらくその静寂を楽しみ、騒音のする市内に戻りました。
この日のランチは、ガイドブックお勧めのプラナガン・タウン・ハウスです。築120年と言うプラナガンの豪邸を利用したレストランです。左の写真は玄関ホールです。ここでもガイドブックに紹介された料理3点(右下の写真)をオーダー。12時前と言うこともありお客は私達だけでした。
昨夜のオレ・サヤンより格式が高くその分値段も少しだけお高いようです。昨夜がビール込みで52リンギット、約1500円強でしたが、このランチはビールなしで55リンギットです。それでも2人で1700円弱ですから、日本とは比較にならない値段ですね。
食後のコーヒーを飲むためにここからマラッカで最も著名なホテルの一つ、ザ・マジェスティック・ホテルへ。左の写真のように入り口はこじんまりとしています。このホテルは市中心の北部にあり道路を挟んでマラッカ川に面して建てられています。川辺にはリバー・クルーズの乗り場もあります。クルーズ船は、右の写真の左手を河口方面へ。右手は上流のU-ターン地点に向かいます。

左の写真のように格式高いロビーでコーヒーを飲んでいて気が付いたのですが、美しい衣装に身を包んだ女性のスタッフも足元はサンダルでした。日本では考えられないですね。
おいしいコーヒーを飲み、ゆっくり休憩したのち帰路につきました。
短い滞在でしたが、また訪れてもいいかなっと思わせる街でした。

2014年5月25日日曜日

週末の朝の過ごし方

久々にきれいに晴れ上がった日曜日の朝、Cさんの呼びかけで7時45分に集合して、Cさんのご主人、Oさんご夫妻そして私達2人の6人で、近くのBukit Jalil Recreation Parkというゴルフ場ほどの広い公園をウオーキングして来ました。(ウオーキングと言うより散歩と言った方が良い方もいましたが。) 
この時間帯で駐車場は満車、もう帰宅される人もいるくらいです。運よく空いたスペースに車を停めることができました。こちらは朝は6時半でもまだ薄暗いので、この時間に帰られる方はきっと暗いうちから歩かれているのでしょう。
公園内は池有り、丘有り世界各国の庭園有りでマイナスイオンだけでなく、視界の変化や歩き方の変化も楽しめます。
写真でもわかるように大勢の方がジョギングしたり歩いたり、太極拳やダンスをしているグループもあり、こちらの方の健康に関しての考え方がわかるようです。


私達も約50分かけて公園の南半分を一周しました。途中猿の軍団に遭遇。しばし歩みを止めて写真を撮ってみました。ここには猿だけでなく、色々な野鳥や魚、そして時にはイノシシのような動物も現れるそうです。郊外とはいえクアラルンプール市の中心から直線で10キロメートル以内にも関わらずこのように自然が残された公園があり、この近くに住む人々に愛されています。私たちのコンドミニアムからも車で7分です。
ゴルフでは余り長い時間続けて歩くことはないので、週一回は少なくてもこのような散歩をしたいと思っているのですが、今のところ月一回のペースになっています。
ウオーキングの後、豆花(豆腐に蜜をかけ豆乳を加えた食べ物)で乾いた喉を癒し、6人で朝食へ。今日は近くのパン屋さんでモーニングセット。分厚いトーストでおなかが一杯になりました。コーヒーを飲みながら、旅行の話などで盛り上がり10時過ぎに解散しました。
今12時過ぎですが、帰宅した後洗濯をした妻はいつの間にかお昼寝タイムに入っていました。これじゃ朝の散歩の意味ないじゃん!

2014年5月24日土曜日

バドミントン


しばらくご無沙汰してしまいました。やっと時間ができたので今日はこちらに来て初めて妻がバドミントンをした時のことをご紹介したいと思います。
妻の日本のバドミントン仲間に紹介された方の奥様と、バドミントンの練習をさせていただけることとなり、KLCCの北の方のWangsa MajuにあるPro One Budominton Centreと言うバドミントン専用体育館にアッシー役で行ってきました。市内をバイパスする有料の長いトンネルを抜けると、そこはもうKLCC 周辺です。そこから東へ針路を取ると、途中から我がナビ殿は狭くて曲がりくねった道を行くようリード。途中市場が立っていた為通れない道に入ってしまい、迂回のため更に狭い道へ。不安にかられながらも何とか40分ほどでやっとたどり着きました。
このスポーツを国技とする国らしく、20面以上のコートを持つ巨大バドミントン場でした。土曜日の夕方とあって多くの若い人たちが楽しんでいました。すぐ近くのコートでレッスンをしているコーチは、下の写真のようにIsmail Samanさんと言う元世界ランク6位の選手だそうです。
待ち合わせの7時になっても待ち合わせたOさんが現れないので電話をかけたら、2面先のコートでやっていた若いカップルが、突然こちらに向かって来るではありませんか。てっきりこちらの中国系の若いカップルと思っていたのでビックリ。ハンサムなご主人と志田未来似のかわいい奥さん。二人ともかなりお上手。ご主人はこれから前出の世界ランク6位のコーチにレッスンを受けるので、そのレッスン中奥様が妻と打ってくださるようです。
私はその間は暑い館内から逃げ出し近くのイオンへ。買い物をして時間をつぶし、1時間後汗びっしょりになった妻を迎えに戻りました。久々に打ったので嬉しかったようですが、翌日以降の筋肉痛にならないか心配のようでした。残念なことにOさんご夫婦は近々赴任を終え日本に帰国されるとのこと。これでまた、うちの奥さんはどなたかバドミントンをされる方を探さなくてはならなくなったようです。
以前駐在していた北京でさえも日本人会の下に同好会があったのにクアラルンプールの日本人会にはバドミントン同好会はありません。このバドミントン大国で練習相手に事欠くとは想像もしてなかったのでぼやくことしきりです。どなたか妻とバドミントンしてくださる方はいらっしゃいませんか???
そうでないと不慣れな私が相手をさせられそうです。

2014年5月11日日曜日

ある週末


ゴルフ天国のマレーシアですが、週末は結構混むので、のんびりとゴルフを楽しみたい私たちはゴルフには行きません。毎日が週末の私たちですが、ゴルフが仕事かの如くカレンダー通りに週末はまったりと過ごし、ゴルフ疲れを癒します。それでも土曜日か日曜日のどちらかには、特別の用事がない限り、午前中にドライビングレンジに行きゴルフの練習をします。100球で8リンギット、約250円です。帰宅してシャワーを浴び、ランチに出かけたり、家で軽い昼食を取ったりします。その後はインターネットでSling Boxを接続し日本のテレビ放送や、日本の自宅のビデオに録画した番組などを見たり、読書をしたりして過ごしています。また、時には声を掛け合ってロングステイ仲間と食事に出かけたりします。
そんなある週末、今住んでいるコンドを紹介してくださった不動産会社のCさんご夫妻とCさんの顧客の、Oさんご夫妻、Kさんご夫妻の8人で近くのSri-Peteling町で夕食をとりました。Oさん、Kさんは市の中心部にお住まいなのに車を飛ばして参加されました。
Cさん以外は日本人なのでオーダーはすべてCさんにお願いしました。中華料理だったので、出てきたものすべてが我々日本人の舌にはピッタリでした。ビールを飲める人はたらふく飲んで、大皿に盛られた大きな川魚を含む10皿近い料理を堪能し、1夫婦70リンギ弱、日本円で2200円位。ビールがなければおそらくその半額? あいにく料理の写真は取り忘れたので、お見せできないのが残念です。やはり、ローカルの食堂(あえてレストランではなく食堂と呼びたい)は安価でおいしいようです。写真は入り口の様子です。ちなみに前面の白い車は私たちが購入した車です。
まだ午後8時半前だったので、飲み直すために私がメンバーのBukit Jalilのゴルフ場のレストランへ移動。(写真は昼間にこのレストランの一角を外から写したものです)ここでも話に花が咲き、ビールやジュースを飲んで10時近くまでわいわいがやがやと楽しい日曜日の夜を過ごしました。暗くなってからゴルフ場に行って飲むなんて日本では考えられないことですが、こちらではゴルフ場がゴルフのためだけでなく、リゾートクラブも兼ねているので夜10時位までは飲食ができます。値段もリーズナブルです。
ちなみにこの夜は1夫婦25リンギ、日本円で約800円。夕食と合わせて夫婦で約3千円でした。
毎週末がこんな具合と言うわけではありませんが、日本にいた時よりは格段にこのような外食の機会が増えているのは確かです。中華料理は勿論、マレー料理やインド料理も手軽に楽しめるので、一つ終わると次は何を食べようという話になり、自然と次回の予定が決まっていきます。ここはゴルフ天国であると同時に外食天国でもあるらしい!?

2014年5月4日日曜日

ゴルフ場のメンバーシップ


今日はゴルフ場のメンバーシップについて書いてみたいと思います。
今賃貸で住んでいるコンドミニアムはゴルフ場に隣接していて、借りている部屋の持ち主はそのゴルフ場のメンバーです。賃貸の条件としてその会員権の利用が含まれていて、名義の書き換えを行うことにより1年単位で会員になれます。ファミリータイプの会員権で私と妻、そして18歳以下の子供がいれば2人までメンバーとなれます。受託金が1,000リンギット、年会費が500リンギットでした。これに毎月128.95リンギットの管理費を支払えば、ゴルフ場は勿論、付随する施設例えば、ドライビングレンジ、プール、ボーリング場、バドミントンコート、スカッシュコート、ジム、サウナ、カラオケラウンジやその他が会員料金で利用できます。

左がクラブハウスで、プールの右下にゴルフ場が広がっています。
ゴルフは2人乗りのカート代が18ホールで66リンギットかかりますが、グリーンフィーは無料です。朝6時半までに行けば、手引きのプルーカート(こちらではトロリーと言う)でハーフを無料でプレイすることができます。ちなみにドライビングレンジは100球8リンギット、250円弱です。またボーリング場は12レーン、バドミントンコートは6面と本格的な施設です。
ゴルフは週末には混んでいて予約が必要なようですが、平日は特別なコンペなどがない限り朝7時半以降なら殆ど待たずにプレイできます。
このコースは現在改修中で何ホールかが使用できず、ロングをミドルとショートの2ホールにしたりしてパー68になっています。(左は我が家のリビングからの眺めですが、真ん中に白く見えるのが改修中のコースです。)それでも5,400メートル(約5、900ヤード)あるので簡単ではありません。練習コースとしては最適です。問題はカート代を節約しトロリーで回るためには、朝6時ごろまでにゲートで並ばないと、プレイ可能な60人に入れないことです。また現地の常連さん達の力が強く、我々のようなおとなしい日本人(?)ではなかなか入っていけない感が半端ではないことです。
それでも最近は何人かの友人もできたので、その気になれば手引きにして無料でプレイできるのですが、朝の待ち時間が嫌で、折角購入したトロリーが埃をかぶってきています。根性なしやねん!