2025年12月11日木曜日

ウズベキスタンの旅 その10 サマルカンド観光 後編2

 

ティラカリ・メドレセ内のドームの天井

この日の夜は19:20発の列車でタシケントに向かいます。

シャフリサーブスの観光を終えサマルカンドのレギスタン広場前に戻って来たのは15:40分。

まだ時間があるので、レギスタン広場に面している3つのメドレセをゆっくり見ることにしました。ドライバーのスフロブさんと17:30に待ち合わせることにしました。

上の写真を左の方に歩きウルグベク・メドレセの西の角近くに或る入場ゲート前でチケットを一人100kスム、約1270円/人で購入。前日来ていればツアーに含まれていたのでチケットは旅行社持ちでしたが、この日は自腹。

先ず上の写真の左側に写っているウルグベク・メドレセへ。

この広場で最初に建ったメドレセです。

このメドレセは1417-1420にウルグ・ベクの命によって建てられました。








このメドレセ(寄宿付き神学校)は数々の著名人を輩出しています。

と言っても私達には全くなじみのない名前ばかりでしたが。





このメドレセの特徴は後から建て直された向かって右側のミナレットが奥に傾いていることです。(有料で登ることが出来ます。)

イーワン(アーチ型ゲート)にはウルグ・ベクらしく美しい星空をモチーフにしたモザイク模様が描かれています。

ここにはウルグベク天文台ができるまでは天体観測のプラットフォームがあったそうです。
メドレセの内部に入ってみました。

青が基調の2階建てのフジュラ(寄宿用ルーム)が並んでいました。






イーワンの裏側のアーチの天井です。

立体的な装飾が美しい。

この様な小さな尖った窪みが層をなして繰り返す形式をムカリナス構造の装飾と呼ぶそうです。本来は鍾乳石の丸天井を意味するアラビア語です。


次に向かいにあるシェルドレ・メドレセに向かいました。

ウルグベク・メドレセから遅れること200年以上の1636年に建てられました。

シェルドレとはタジク語で「ライオン」です。


この名の通りイーワンの上部にライオンが描かれています。

イスラム教では偶像崇拝は禁止されています。
イスラム教より王様の権力が強いことを誇示しているとも言われています。

又追われている鹿は学問、追っているライオンは学問を追求する学生、人間の顔を持つ太陽は王を表しているとも言われています。

このメドレセの左右2つのドームは、ティラカリ・メドレセのような青一色ではなく、複雑なモザイクの装飾がなされています。







このメドレセのイーワンは三つの入口が有ります。












こちらが真ん中の使われていない門の天井です。

見事なムカルナスです。






内部はウルグベク・メドレセと同様に2階建てのフジュラ(寄宿)が中庭を囲んでいます。

一つのアイヴァンでモデルの撮影中でした。






こちらは正門の反対側にあるアーチの天井です。表と違って星形のモザイクが際立っています。






中庭側から見上げたフジュラ、正門の裏面、ドームです。








中庭から正門方向を見てみました。

2階建てのフジュラ、正門の裏側、2つのドームと左右のミナレットを見ることが出来ました。

向こうに沈もうとしている夕陽により、空が色ずんできていました。

次に隣のティラカリ・メドレセに向かいました。

その途中の空き地に写真の様な石で造った壇の様な物が有りました。

シャイバーニーのDAHMA(英語)だそうですが、DAHMAの意味が分かりません。シャーバーニーはティムール帝国の次の王朝です。

こちらがティラカリ・メドレセです。
レギスタン広場の中央にあります。

この広場で最後に建ったメドレセで、20年かけて1660年に建造されました。

ビビハニム・モスクが使用できなくなったので、メドレセだけではなくサマルカンドの大聖堂の役割を持っていました。

イーワンの天井です。

中に入ると左手にモスクが有ります。







モスクの天井です。

さすが「金箔を施された」と言う名前のティラカリと呼ばれるだけ、金箔がふんだんに使用されています。

建設当時で5㎏、修復時には3㎏の金箔が使われたそうです。


この天井はドームの天井に見えますが、実は遠近法で装飾されているので平面です。

ドームは20世紀まで完成していなかったそうです。





礼拝の間も金ぴか。

こちらはミラハーブ。メッカの方向を示す窪みです。

ミラハーブがこのように黄金のムカルナスになっているのはここだけでしょう。







こちらはこのミラハーブの右側にあるミンバル(説教壇)です。

大理石でできているのかな?

この壇の上に立って、説教師が話します。








しかしどこから見ても美しいの一言です。













モスクの左手奥はお土産屋さん。(写真の右手下の門の奥です。)









衣類やその他の商品が並んでいました。













ウズベクおじさんやお姉さん、そしてチェス盤等々。

中庭では民族楽器を奏でる人も。









フジュラを改装したお土産屋さんの店先にもウズベクおじさんが。








西日が当たりはじめたメドレセの正面です。









ティラカリ・メドレセの入り口付近でレギスタン広場の展望を楽しむ妻です。








私は前々日転倒した現場へ。

ここで向こうに見えるシェルドレ・メドレセを写すためにバックしたら、最初の段を踏み外しました。

何とかそこは”おっとっと”と片足ステップで堪えたのですが、そこには次の段が。

ついにこらえきれず左手から横転し、一番下の段まで転げ落ちました。

2ヶ月近くたった今も左手で体を支えることが出来ません。一体いつになったら完治するのでしょう。

そろそろ待ち合わせの時間になったのでトイレを済まし、出口へ向かいました。

写真がウルグベク・メドレセの北側にあるトイレです。勿論有料。3000スム、約38円。

余談ですが今回の旅行中、トイレに困ることは殆どありませんでした。


出口は入り口と反対の東側です。

東の奥にウズベキスタン初代大統領のイスラム・カリモフの銅像が、夕日を浴びて凛々しく立っていました。





銅像に続く通路とシェルドレ・メドレセの間は花壇になっています。











もう一度レギスタン広場を見てから車へ。







サマルカンドの鉄道駅に向かいます。途中、前日に立ち寄ったグル・アミール近くを通った時、3つあるティムールの象の一つを見つけました。

走っている車の窓からとったので余り鮮明ではありませんが、ティムール王朝を建てサマルカンドを首都にした後の安定した王位を表すためか座像になっています。

駅へ向かう途中で見つけたサッカースタディアムです。

サマルカンドチームのホームグランドです。






こちらはパブ・ストリート。

この近くにはビール工場やワイン工場&博物館などが有ります。

時間が有れば寄りたかったかも。




こちらは至る所にある、速度違反検知器があるよと言う警告板。

これを見つけるとドラーバーは速度を落とすようです。





列車の時間にはまだ少しあるので、サマルカンドで2番目に大きなバザールへ。

ここはまた路面電車の始発駅が有ります。
現在は運休状態らしいのですが、丁度試運転していました。

バザールは電車の左後方にあります。


なかなかきれいな車両でした。









近くに駐車場が無いので、この写真の右手前に停めて歩いてバザールへ。

駐車場はまるでシボレーの展示場の様でした。





この日は月曜日なので前日行ったサマルカンドで最も大きなバザールのショブ・バザールがお休みなので、その分こちらは大賑わいでした。

バザールへ向かう道沿いに野菜や果物を売っている露店が並んでいて、買い物客の間をすり抜けて行く感じでした。


こちらは果物店。

ザクロ、洋梨、プラム、柿、色んな種類のブドウなどが綺麗にならべてありました。

バザールの中で買うより1~2割安いそうです。




こちらはバザールの中です。

米が安い!1㎏何と15,000スム、200円弱です。5㎏で5,000円近い日本の1/5ですね。






こちらは果物。

外の露店より種類も豊富だし、物もよさそう。

パイナップルやアボカド、マンゴー等も有ります。輸入の物も有りそうでした。







こちらは肉屋さん。

豪快に肉が攣られていました。右側はおそらく羊。






最後にお土産のナッツの買い足しの為スフロフさんお勧めのナッツやさんへ。

右下の手前のピーカンナッツとその奥の黒いマカデミアンナッツに似たものを買い足しました。




種類が多くどれも美味しかったので、荷物に余裕が有るならきっともっとたくさん買った事でしょう。

写真は店主の方です。

列車発車時刻の一時間前になったので駅に向かいました。

車に乗ると5分もかからず駅に到着。こんなに駅に近い場所にいたんだとビックリ。
この後列車に乗ってタシケントに向かいます。
ここからは次回タシケント編でお伝えします。